北尾吉孝日記

『脱メモのすすめ』

2019年3月19日 15:05

拙著『逆境を生き抜く名経営者、先哲の箴言』の「第一章 逆境を生き抜いてきた名経営者の知恵と胆力」で、イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊さんを御紹介しました。私が伊藤さんに何時も感心していたこととして、嘗てのブログ『基本の徹底と変化への対応~私が「セブンイレブンに学ぶこと」~』の中で、次の通り述べました。
――例えば私が野村證券時代にニューヨークで勤務していた時も、伊藤さんは訪米後すぐに様々な小売店の見学に向かわれ、そこで色々なものを見て勉強したこと全てを紙にメモされるといった具合で、常に紙を持ち歩き全部メモ書きして行くという、ある意味恐ろしい程の学びの姿勢を有する人が伊藤雅俊という御方です。
メモを取る・取らないは、夫々の自分に合った記憶の仕方と関連していると思います。伊藤さんの如くメモを取るのであれば、自分が重要だと選別した上でそれをメモにし、そのメモを始終見て行くことが大事です。メモを取っているだけで後に殆ど見ないのであれば、メモは取らずそれを覚えようとすべきであって、却ってその方が頭の中に残るのではないかと思います。
私自身はと言うと、昔から今日に至るまで手帳やメモ帳等を持つことはなく、全て頭の中で処理してきました。要は何もかも覚えようとするのでなく、その時々で「覚えておくもの、覚えておく必要のないもの」を峻別し、更には覚えておくことが暫くの間は必要だとか、「長期で必要だと思えるもの、長期では別に必要ないと思えるもの」といった形で整理し、その上で記憶して行くわけです。
「これは覚えておかないと。後で必ず見よう」と思い溜めてきたデータやペーパーを1、2年後に振り返って見た時に、その時点で大体が覚えておく意味が無かったものになっていた、という経験をされた人は多くおられるのではないでしょうか。大概はメモを取るのでなく、それを心に留めその時々で頭の中に入れようと努力をする方が身に付く(…知識・習慣・技術などが、自分自身のものとなる)ような気がします。こうした仕方は訓練すれば出来ることで、メモに頼らねば自然とそういう風になるものです。
私はまた、本を読む場合でも読書ノートの類は作りません。「なるほど」と思う箇所のメモを取っても、それで終わっては何にもなりません。「じゃあ、自分はどうするのか」が、なければいけません。ですから私は、今よりベターな自分になるべく出来ることを決めて、行動に移すようにしています。即ち、知行合一(ちぎょうごういつ、ちこうごういつ)であります。
書物から感銘を受け、多くの知識を得てメモしておいたとしても、その内容を自分自身が消化し体得しなければ意味がないと思います。陽明学の祖・王陽明の『伝習録』に「知は行の始めなり。行は知の成るなり」とある通り、知と行とが一体になる知行合一でなくして真理には達し得ないのです。見識(…知識を踏まえ善悪の判断ができるようになった状態)に勇気ある行動力が加わって初めて、胆識(…胆力のある見識)になるのです。




 

『礼を尽くす』

2019年3月11日 15:05

ビジネス上のやり取りで一番大切なことは、要点が端的にまとまっていることと、目的が明瞭であることだ。私が社内の誰かにメールを出すときは、シンプルに「イエス」「ノー」といったことを伝える。もちろん社外や目上の人に対して便りを出すときには、丁寧な文章が必要になるが、その2点を念頭に置かなければ、どんなに言葉を尽くしても意味のある便りにはならない。
上記は、3年程前プレジデントオンラインで連載された『北尾吉孝社長の「はなまる文章、赤点文章」』の内、『挨拶メール「1通だけ」で相手を口説き落とすコツ』と題された記事の冒頭部です。メールにしろ手紙にしろ電話にしろ一番良いのは「要にして簡」、即ち必要な事柄すべてを包含し簡潔に纏められているものに尽きると思っています。
長文・駄文で何が言いたいのか全く伝わらない、ダラダラと何か喋っているが何が焦点か全く分からない、といったことではいけません。ですから私の場合は、電話もメールも短いのです。但し、短くとも相手に対し非礼なきように、ちゃんと礼を尽くすということだけは、私自身がある意味心掛けていることでもあります。
拙著『実践版 安岡正篤』第三章「一流の仕事人になる為に身につけるべきこと」にも書いておいた通り、此の礼について安岡先生は御著書『知命と立命』の中で、「およそ存在するものはすべてなんらかの内容をもって構成されている。その全体を構成している部分と部分、部分と全体との円満な調和と秩序、これを『礼』という」と述べておられます。
例えば会社というものは、年齢的にも経験的にも多様な人々の集まったheterogeneous(異種)な社会です。そこで、社員同士あるいは社員と会社の関係を円満に調和させ秩序だったものにすべく、従うべき原則が礼なのです。私どもSBIではそういう礼につき入社時より喧(やかま)しく指導していますが、それでも中にはheterogeneousな世界にスムーズに入って行けない人もいます。
電話対応一つを見ても、それは顕著に表れます。内線電話の取り方などでも、礼儀作法がしっかりしていてソツがなく伝言内容を的確に伝えられる人がいる一方で、残念ながら全くなっていない人もいます。陽明学の『伝習録』に「事上磨錬(じじょうまれん)」という言葉があり、日々の生活の中で己を鍛え上げ行くことを説いていますが、礼儀作法もその一つと言えるでしょう。
ちなみに私の場合、メールでのカンバセーションを余り行いません。それは一つに話しているとき喧嘩をしたとしても速やかに訂正ができ誤解が解けますが、対照的にメールというのは様々な事柄において誤解を生む種になったりしますし、書き物として一度残りますから直ぐに訂正するのが難しかったりするからです。
それからまた、人情の機微のようなものはメールの文面に表れてこないところがあり、それは実際会って一緒に時間を過ごす中で表れてくるものですから、こういう時代においては尚の事、メール等のコミュニケーション手段を減らしface-to-faceの時間をもう少し持つようにする、といったことがあっても良いのではないかと私は思っています。
何れにせよ人間生活の基本的な在り方とは、「礼に始まり礼に終わる」という武士道の精神にあります。他人を尊重するからこそ、社会生活が円滑に行くわけです。礼の徳とは社会の秩序や調和を保つ働きを持った徳のことであって、礼がきちっとしていない者に大きな仕事など出来るはずがないのです。




 

プレジデントオンラインに、「人の気持ちがわからない人の致命的理由3」(18年7月18日)という記事がありました。筆者曰く、そのポイントとは次の3点、①「情」を磨く経験量(時間の長さ、思考の深さを含む)が圧倒的に不足している/②適切な「フィードバック」をタイムリーに得られていない/③職場や家庭における「エンゲージメント」が足りない、だとしています。
人間である以上、喜怒哀楽というものは皆夫々が持っています。どうやったら人は喜び・怒り・悲しみ・楽しむのか、といった人情の機微(きび…表面だけでは知ることのできない、微妙なおもむきや事情)が分かるような人になるためには、自分が日々の生活の場で様々な喜怒哀楽や辛酸を嘗めるようなことを経験したり他の人の喜怒哀楽の場面を観察し、共感を得たり同情したりすることです。
例えば、田中角栄という人は今太閤と呼ばれてもいましたが、彼は豊臣秀吉とある面似た部分があって人情の機微を十二分に理解し、ある意味最も人心を上手く得て圧倒的人気を博した政治家でした。水呑百姓として生まれ足軽から頂上を極めた秀吉に対し、小学校を出ただけの叩き上げで宰相にまで上り詰めた角栄ということで、当然そうした人情の機微を知り尽くしていたのだろうと思います。
あるいは、曹洞宗開祖の道元禅師は、心配りを出来ない弟子には免許皆伝を与えず、それが出来る弟弟子の懐奘(えじょう)には先んじて伝授しました。兄弟子の義价(ぎかい)には、老婆心が足りないと言われたそうです。老婆心とは御節介ではなく、心配りのことです。心というものは視・聴・嗅・味・触の感覚、所謂五感である意味捉えられないものを捉え、物事を推し量って行きます。相手の心の動きを見て相手の悲しみを認識し、自分も同じ境地に入ってその悲しみと同レベルに達し、相手を如何にして慰めて行くかということです。
また、明治の知の巨人・森信三先生も、「人間の智慧とは、(一)先の見通しがどれほど利くか、(二)どれほど他人の気持ちの察しがつくか、(三)何事についても、どれほどバランスを心得ているか」という言い方をされています。同時に私が思うに、仮に他人の気持ちを察することが出来たとしても、その通りに同情的に何かしてあげるとか、その人に沿って媚び諂(へつら)うとか、といったことでは必ずしもないでしょう。
やはりそこには善悪の判断があって、察した結果自体が次の動きに直結するものではありません。しかし、相手の気持ちが分かることが重要であることに違いなく、その通りやってあげられないとしても、その気持ちが分かるか否かで人に対する接し方が大きく違ってきます。私は、そうしたことがある面で人間の知恵(ちえ…物事の道理を判断し処理していく心の働き)ではないかと考えています。
勿論、善悪の判断自体が極めて難しいことだと言えなくもなく、様々な事柄全体を思慮してみても、一体何が本当に正しく何が正しくないのか、良く分からない部分もあります。但し、『大学』に「明徳を明らかにする…自分の心に生まれ持っている良心を明らかにする」とあるように、人間である以上みな良心というか明徳というものがあるわけで、やはり最終的には自分の明徳に聞き、そして自問自答する中で物事を判断するしかないのだろうと思います。




 


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