北尾吉孝日記

『天授け、人与う』

2018年5月24日 16:45

株式会社ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長の柳井正さんは、御自身の後継者の条件として、「全員から支持が受けられる人、決断できる勇気を持っている人」を先月12日の決算説明会で挙げられたようです。
昨年12月のブログ『リーダーになる人』でも「天授け、人与う」という孟子の言葉を御紹介したように、人望や人気あるいは徳と言っても良いかもしれませんが、そのようなものを重ね持ち且つ能力・手腕もある人でなければ指導者にはなれません。
孟子は、天が天命という形で授け人民が与うという形で、人は天子になる、指導者になると言っているわけです。例えばトップからある人がNo.2だと位置付けられたとしても、他の多くの社員からも同じように支持を得られなければ良いバトンタッチとは言えないでしょう。
人徳のない人が指導者の地位に就くと、直ぐに組織は機能しなくなります。たとえ指導者になれたとしても、結局彼は退かねばならなくなるのです。従ってトップは人望がない人に、そうした重い地位を与えるべきではありません。
尤も「上、下をみるに3年を要す。下、上をみるに3日を要す」と言われますが、上司は部下の仕事全てを把握出来るわけでなく、胡麻を擂られ世辞も使われますから彼等に対する評価を往々にして誤ります。
一般論として、トップがある人をNo.2やNo.3に据え後継者に相応しいか否かをみるに3年を経ても、その人の本質が中々出て来なかったりして誤魔化されるケースは結構あるように思います。
対称的に、下は3日を要せば「あぁ、この上司は駄目だ」と直ぐに分かるわけで、先に「人与う」と述べたように、部下の評価が如何なるものかが大事な要素になります。従って組織として、部下が上司や周りの同僚等を評価出来るようなシステムが求められるでしょう。
そういう意味で私どもの場合は「360度評価」を導入していますし、更に御客様の評価といった外部の情報も重要なものとして考慮されねばなりません。上は往々にして騙されるという前提の下、我々は出来る限り様々な情報を入れ人を判断しようとしています。
人を選ぶとは、それ位に難しいことだと思います。ですから、私は自分で選ぶというよりも自然の成り行きで、例えば「うちの大将あの人に大分力を入れ込んでいるみたいだが、周りの評価も悪くない」「彼がリーダーで良いのではないか」といった具合に、衆目の一致するところが非常に大事だと思っています。




 

『聖人の言は簡』

2018年5月15日 16:45

『酔古堂剣掃』(中国明代末の読書人・陸紹珩が生涯愛読してきた古典の中から会心の名言を収録した読書録)に、「神人の言は微。聖人の言は簡。賢人の言は明。愚人の言は多。小人の言は妄」という言葉が採録されています。
之は、「聖人よりも神に近い優れた人の言葉は機微、デリカシーがある。聖人の言葉は簡潔で洗練されている。賢人の言葉は明瞭である。それに比べて愚人は言葉数が多く、小人の言葉は出鱈目ばかりだ」といった意味になります。
逆の立場で考えてみますと、我々の心にグサッと突き刺さるのは大抵が、片言隻句という「ほんのちょっとした短い言葉」です。長ったらしい言葉が心の中に残り、その後時として自分の行動規範になったりして、自分を律する上で何か役立つといったことは殆どありません。
自分を励まし行動を促すような片言隻句をどれだけ持っているかにより、その人の人生は大きく変わって行くと思います。様々な体験の中で、それらの寸言を反芻する等して、日々の糧として行くのです。そうした片言隻句とは、正に冒頭挙げた微や簡であります。
例えば『論語』の「子路第十三の二十七」に孔子の言、「剛毅木訥(ごうきぼくとつ)、仁(じん)に近し」があります。此の僅か六漢字(剛毅木訥近仁)で、仁者というものがはっきりと分かります。之は、「意志が堅固である、果敢である、飾り気がない、慎重である、このような人は仁に近いところにいる」といった意味になります。
あるいは同じく『論語』にある孔子の言、「巧言令色、鮮(すく)なし仁」(陽貨第十七の十七)と一言聞けば、如何なる者が仁の心に欠けるかが、パッと頭の中に浮かんできます。之は、「口先が巧みで角のない表情をする者に、誠実な人間は殆どいない」といった意味になります。
私は、どういう人が信頼でき、どういう人が信頼できないかを、これ程明確に表している言葉は他に無いと思っています。聖人の言とは、正にそういうものなのです。人生の転機あるいは絶体絶命の危機を迎えた時、こうした片言隻句こそが、自分を励ましてくれたり物事を決断する上での指針となったりするでしょう。
また、もう少し違った見方をすれば、例えば我々凡人がスピーチを多勢の前でやるといった場合、私は、その人の職を問わず「要にして簡」、即ち必要な事柄全てを包含し簡潔に纏められているものが一番良いと思っています。
ダラダラダラダラと何か喋ってはいるけれど何が焦点か全く分からない、というような人は現に数多見受けられます。スピーチに限らず、要にして簡ということが、やはり非常に大事な要素だと思います。




 

『野党の仕事とは』

2018年5月8日 15:05

16年3月結成された民主・維新の合流新党「民進党」は約1年半で瓦解・分裂し、それから半年超で国民党(旧希望の党)を吸収し国民民主党となりました。いま民進党や国民党の主張は一体何であったか、国民に何を訴えたかったのかと考えますと、此の2年以上を振り返ってみても、私には全く思いつきません。結党以来これらの党には主張が無く、存在価値が無かったということでしょう。
これまで当ブログで幾度も指摘したように、中国古典流に言うと政治というのは三つの要素「政道・政略・政策」に分かれます。その一つ、政道とは正に政治の根本中の根本であり思想・哲学に当たる部分です。此の政道の違いをある意味象徴しているのが政党の違いであります。野党の皆さん方は党の存在とは如何なるものかと、今一度振り返って考えてみる必要があるのではないでしょうか。
国会活動を通じても、彼らは明けても暮れても「モリカケ批判」ばかりでした。勿論、何も追及するなとは言いませんが、マスコミの公表を本に国会での大切な時間を国会議員が浪費し続けるのは可笑しいと言わざるを得ません。野党議員は本来の重要事項の審議に集中し、当該問題は司直の手に委ね司法当局が究明すれば良い話ではないかと思います。
本日より漸く19日ぶりに国会審議が正常化するようですが、此の間国会に出席もせず何もしなかった野党議員にも我々の血税が充てられています。ある記事に拠れば「国会を欠席しても、約2100万円の歳費と1200万円の文書通信交通滞在費は満額で支払われる。ならば、せめて自主返納するという声がなぜ野党から起きないのか、という議論も起きている」ようです。
一昨日、英国の野党研究センター共同創業者のナイジェル・フレッチャー氏によるインタビュー記事が日経新聞に載っていました。曰く、野党の仕事とは「一つは与党の政策を厳しく監視すること、もう一つは潜在的な次期政権として国民に代替案を示すことだ。(中略)最も重要なのは人々を結束するアイデアや理念を示すことだ。これがしっかりしていなければいかなる政権批判も重みを持たない」とのことであります。
現政権批判を強めるのであれば、野党各党は「代替案を提示せよ」。正に此の一言に尽きるでしょう。今後日本はどうやって此の少子高齢化の世界を生き抜いて行くべきか、これから我国の憲法・防衛・外交はどうして行くべきか等々、国政政党たる本来的課題に対し野党は国民に建設的な政策を示さねばならないのです。
野党の皆さん方には悪いけれども、国会でモリカケ批判の類ばかりをやり続けることを、国民は良しとしていないと思います。事実、各種世論調査が示す通り「安倍内閣の支持率が低迷しているにもかかわらず、野党の支持率が上がる気配は見られない。野党への期待値はゼロに等しいということ」でしょう。
仮に国民の間でモリカケ追及に対する期待だけが際立って高まっているよう思わせているのだとしたら、何時も正しいとは限らない世論形成に大きな力を持つマスコミも大罪だと私は思います。寧ろマスコミは、国会がモリカケ一色であることを問題視し、日本の将来を左右する沢山のアジェンダが置き去りにされ続けている現況を憂い、野党各党を厳しく批判すべきです。




 
  • 小
  • 中
  • 大



Copyright © SBI Holdings, inc. All rights reserved.