北尾吉孝日記

『人生は短距離競争』

2018年8月14日 17:15

明治の知の巨人・森信三先生いわく、『人生は唯一回かぎりの長距離マラソンである。随って途中でくたばったら駄目。そして「死」が決勝点ゆえ、「死」が見えだしたら、そこからイヨイヨひた走りに突っ走らねばならぬ』とのことであります。
また先生は、『我々人間は、各自が人生の決勝点に達するまでは「一日一日を真に充実して生きねばならぬ」のです。つまりマラソン競争だと、常に全力で走り抜くことであり、そのためには、現在自分は決勝点まで一体どれ程手前の処を走っているのかを、常に心の中に忘れないことが大切なのです』とも述べておられます。
人生というものにつき森先生は他にも色々な言い方をされていますが、マラソンということでは次の言葉も残されています――人生は、ただ一回のマラソン競走みたいなものです。勝敗の決は一生にただ一回人生の終わりにあるだけです。しかしマラソン競走と考えている間は、まだ心にゆるみが出ます。人生が、五十メートルの短距離競争だと分かってくると、人間も凄味が加わってくるんですが。
此の言に対しては様々な解釈があろうかと思いますが、要するに『今ここに生きる』(18年3月13日)姿勢を常に持つということでしょう。人間いつ死ぬか分からないわけですから、逆に言えば「いつ死んでもいいんだ」という位の気持ちで生きれば、マラソンなどと悠長なことは言っていられないのです。
人間は、死すべきものとして此の世に生まれてきます。平均寿命も延びた現代、年老いて尚体力も充実している人は数多います。しかし精々人生の賞味期限はと言うと、多分35~40年程でそれ程長くありません。此の僅かな間にどうしてもやり遂げねばならない天命があるわけで、そうでなければ棺桶に入る時やり残したといった気持ちが出てくるのではと思います。
人間みな生まれた時から棺桶に向かって走っており、そして人生は二度ないのです。正に此の一時一時を大切にし、寸暇を惜しんで行かなければなりません。凡そ此の世にあるもの全ては何時の日か必ず朽ち行き儚いがゆえに、時間を大切にするということが非常に大事になるのです。
上記の通り、人間は必ず死すべきものであり、また、いつ死ぬかは分からぬ存在である以上、今ここに生きることを大事にし、日々真剣勝負の中で自分を鍛えて行くしかないでしょう。松尾芭蕉の言うように、「われ生涯いいすてし句々、一句として辞世ならざるはなし」という位の覚悟を持ち、今を兎に角真剣に生きたら、人間も凄味というものが加わってくるのではないでしょうか。




 

私はTwitter上で野口悠紀雄(@yukionoguchi10)さんをフォローし、日々そのツイートを目にしています。その中に「猿は、同じ大きさのバナナを2つ与えられて1つを選ぶよう迫られると、どちらを選んでよいか分からず、結局餓死してしまうそうだ」(18年8月4日)というツイートがありました。
此の言に対しては、「決断するということは、実は高度な知性が必要な営みだということでしょうか?」とか「横から違う猿が一個取って行ったら、自ずと生きていける。って事ですか?搾取が正義的な??真意がわからないです」とか、あるいは「嘘だと思いますw」といったリプライが為されていました。
私の場合、「人間も色々だから、猿も色々?猿にも個性があるのでは?中には優秀な猿もいるのではないか?」と思い、「画一的に全ての猿が、そういう事ではないだろう。しかし、実際の所どうなんだろう・・・」と思いながら、リツイートしました。
もう少し詳しく述べますと、嘗て読んだ世界的ベストセラー『ビジョナリー・カンパニー』(Jim Collins著/1995年/日経BP社)をふと思い出し、人間と猿を比して「どちらを選んでよいか分からず」というのを考えました。
同書の中に、『「ORの抑圧」をはねのけ、「ANDの才能」を活かす』という「挿話」があります。之は、ビジョナリー・カンパニーと言われる会社の多くが「一見矛盾する逆説的な考え方を持っている」といった話です。より具体的には、以下の例等が挙げられています。

・利益を超えた目的 と 現実的な利益の追求
・揺るぎない基本理念と力強い変化 と 前進
・社運を賭けた大胆な目標 と 進化による進歩
・理念の管理 と 自主性の発揮
・長期的な視野に立った投資 と 短期的な成果の要求
・哲学的で、先見的で、未来志向 と 日常業務での基本の徹底

「AかBのどちらかでなければならず、AとBの両方というわけにはいかないと考える」のは、ビジョナリー・カンパニーでありません。ビジョナリー・カンパニーというのは、「理想主義と収益性のバランスをとろうとしているわけではない。高い理想を掲げ、かつ、高い収益性を追求する」のです。
人間の世界には必ずしも二者択一でなく、最終的には正反合(ヘーゲルの弁証法における概念の発展の三段階。定立・反定立・総合)の合に持って行けるような知恵、更には正(命題)とも反(反命題)とも分からなくなってしまうような解、といったものもあり得ます。
そういう意味ではそもそも猿は、合(中庸)を追求出来ないのかもしれません。私は野口さんのツイートを見た時に、正しいとか間違っているとか良いとか悪いとかは別にして、上記の通りのことが頭に浮かびました。本ブログを読まれた皆様は、如何に思われたでしょうか。




 

『時間を管理する』

2018年8月1日 15:05

子供のころ祖母から「仕事をやり遂げるためには忙しい人に任せなさい」と教わりました。本当に忙しい人よりも、実は暇な人の方がいつも時間がないと言っているものです。要するに、忙しくない人というのは怠惰で時間管理能力が低いのです――之は、著名投資家のジム・ロジャーズ氏(1942年-)の言葉とされるものです。
最近も「ハーバード大学ビジネススクールのニティン・ノーリア学長とマイケル・ポーター教授が、大企業のCEOの時間の使い方に関する研究結果を発表」しましたが、此のタイムマネジメントというのは、ある意味非常に難しい問題であります。
例えば、ウォーレン・バフェット氏の場合は「スケジュールを極力簡潔化」し「そのほかの仕事は臨機応変に優先順位をつけて対応している」ようです。対照的に、ビル・ゲイツ氏の場合は「過密なスケジュールを最短で5分単位にまで細分化し、(中略)また自分が目を通すべき重要なメールを部下により分けさせるなど、様々なタスクで優先順位を決めている」ようです。
上記につき一点、気になります。世界でも指折りの成功者であるゲイツ氏に反論するのは恐縮ですが、率直に申し上げて重要なメールか否かの判断を部下が下せるとは私には思えません。ある範疇に関し基本的には人任せにせず、全て自分で目を通すべきだと思います。その為そもそも夥しい数のメールが来ないよう、自分のやっている対象を絞り込んで行かねばならないでしょう。
私自身の場合を考えてみても、やることは自分でどんどん広げているような気がします。だから多忙極まるのは当然として、片一方で削って行くということもしています。新しい仕事が始まり優先順位を高く置くとしたら、古い仕事でそれが低くなったものを削って行く作業が必要だと思います。
そうでないと益々メールは増え、人任せにしないといけない案件が増えて行くからです。私は、捨てるとか省くということは、何でも彼んでも付け加えることよりも大事な思考だと思っています。正に耶律楚材(やりつそざい)の、「一利を興すは一害を除くに若かず。一事を生ずるは一事を減ずるに若かず」の通りであります。
私は嘗て『時間の配分』(08年2月25日)というブログの結語で、「海外への出張と、そして国内の膨大な仕事に追われるという毎日が続いており、そのために仕事の優先順位付けと、時間の振り分けを綿密にやっています。そして土日休日も可能な限り有効に時間を使うべく、今は仕事一点に標準を合わせて、働いていこうと思います」と書きました。
相も変わらず仕事一点に標準を合わせて働き続けているわけですが、自分が最重要だと思うことにより多くの時間を割き、人任せにするようなことは基本ありません。勿論それは、人を信用しないからではありません。それは、グループ全ての経営に関するありとあらゆることを頭に入れ、短期的・中期的・長期的にどうかを勘案しながら瞬時に終始先後を判断できるのは自分以外に、やれないと思うからです。




 
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