北尾吉孝日記

『判断の規矩を持つ』

2021年2月26日 13:55

裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが信じることと思いました――昨年ある映画の完成報告イベントで、信じるということにつき、女優の芦田愛菜さんはこう述べられたそうです。
そして彼女は更に、「揺るがない軸を持つことは難しい。だからこそ人は『信じる』と口に出して、成功したい自分や理想の人物像にすがりたいんじゃないかなと思いました」と続けられたとのことですが、未だ16歳にして確かに一面ある種の悟りを開いたかのようにも感じられます。
他方同時に「揺るがない自分がいることが信じること」と言われていますが、「揺るがない自分」が何であるかは不明瞭で、突き詰めて行くと何か考えてしまうような難しい話です。「揺るがない自分」を揺るがすのは、一体何なのでしょうか。私に言わせれば先ず大前提として、真に判断の規矩(きく…考えや行動の規準とするもの)を持っていればこそ、自分が揺るがずに在り得るのだと思います。
私などは次の三文字、「信…約束を破ったり信頼を裏切るような事をしない事」「義…正しい事柄を行う事」「仁…相手の立場になって物事を考える事」、を何時もあらゆる判断をする場合の規矩としています。事に当たる時この三文字に照らし合わせ自分自身に厳しく問うて判断すれば、軸がぶれることなく的確に対処できると思っています。
人間、軸を持っていないと常にぶれます。芦田さんがどうやって気付いたのかは分かりませんが、冒頭の引用からは彼女がある種の軸を持っていることは窺い知れます。但し、それが如何なる軸であるのかは判然としません。
併せて人のことに関して言えば、やはり人を判断する時には自分の目で見、自分の耳で確かめることが不可欠です。単に「誰々が言っていたから」といった程度の噂の類で人を評するのではなくて、自分自身で見たもの・聞いたものの内十分確かめられた事柄以外ある意味判断の材料にしない、ということが我々の考え方として一つ求められるように思います。
単なるイメージに対し自分で勝手にその人像を作り上げて後、「その人の見えなかった部分が見えた」のであれば、そもそも自分の人を見る目が未だ出来ていなかっただけではないか、というふうにも思えます。
昨年の米大統領選挙を例に挙げるまでもなく、これだけフェイクニュース溢れる今の世で信に足る情報は、これまた限られているのかもしれません。ですから我々は何事において、先ず判断の規矩を明確にした上で、自分の耳目で今迄よりも可能な限り徹底して様々チェックして行く必要がありましょう。常々そう在らぬ限りは本当の信には繋がり得ず、大きな間違いをおかすことにもなるのです。




 

『知性の高い人』

2021年2月18日 16:10

アイルランド出身の作家・オスカー・ワイルド(1854年-1900年)は、「現代は労働過剰で教育不足の時代だ。人々は勤勉になるあまり、完全に知性を失っている」という言葉を残したとされています。あるいはレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年-1519年)などは、「何かを主張をするのに権威を持ち出す人は全て、知性を使っているのではなく、ただ記憶力を使っているだけである」との指摘を行っていたようです。
このように知性ということでは、偉人と称される様々な人が色々な言い方をしています。国語辞書を見ますと、知性とは「1 物事を知り、考え、判断する能力。人間の、知的作用を営む能力」「2 比較・抽象・概念化・判断・推理などの機能によって、感覚的所与を認識にまでつくりあげる精神的能力」と書かれています。
以下、本テーマで私が思うところを簡潔に述べて行きますと、先ず知性の高い人というのは言うまでもなく、英国社数理が非常に強い人を指している言葉だとは思いません。それは、私が私淑する安岡正篤先生の言葉を借りて言えば、「思考の三原則」に則って物事を考えられる人を指しているのでありましょう。
即ち、「枝葉末節ではなく根本を見る」「中長期的な視点を持つ」「多面的に見る」の三つの側面に拠って物事を考察できるということです。此の正しい考え方を身に付けた人は、かなりの程度物事の本質を見極められる知性の高い人と言えるのではないかと思います。
そして更には知性の高い人を仏教流に述べるとすれば、「徳慧:とくけい、とくえ」と言われる知が挙げられましょう。之は、仏教において一切の諸々の智慧の中で「最も第一たり、無上、無比、無等なるものにして、勝るものなし」と説明される、「般若」の智に通ずるものとされています。
終局的には悟りに至る実践的な智慧と言っても良いかもしれませんが、そうした知恵というのは、学んで理解する「学知」を越えたものです。「知行合一:ちぎょうごういつ、ちこうごういつ」を進める中で様々修行した徳性の高い人間にあって初めて得られる知恵であります。
こうした類は学力試験などでは全く計り得ません。学校の成績は一部学力を計る上での目安になるかもしれませんが、その人間が有する全人的な知力を計る上では、ほぼ役に立たないのです。私は、己を知り、人を知り、世のため、人のため、に活きるような知恵を身に付けた人でないと、本当の意味で知性が高い人とは言えないのではないかと思っています。
因みに、弟子から「どうやってあなたは悟りをひらきましたか」と聞かれたお釈迦様が「自分は六波羅密を実践した」と答えた、といった話も含め、徳慧や般若に関しては嘗てのブログ『直観力と古典』(10年3月1日)でも詳述しましたので、御興味のある方は是非そちらも御覧頂ければと思います。




 

『仕事で伸びる人』

2021年2月12日 15:30

半年程前、『テンミニッツTV』というメディアに『仕事で「この人は伸びる」と思われる人の特徴は?』と題された記事がありました。その特徴10点とは、①素直な心を態度で示せる人、②ポジティブ感情を生かしている人、③感謝の心を言動で表せている人、④目的に見合った情熱を持ち続けている人、⑤好奇心と向学心がある人、⑥数字に敏感で数学的思考ができる人、⑦「やると良いこと」の習慣化ができている人、⑧待機できる人、⑨仕事に関わる人と好情をはぐくめる人、⑩健康管理とメンタルヘルスケアができている人、とのことです。
私が仕事で「この人は伸びる」と思えるか否かは、パンツのゴム紐と一緒で伸びたり縮んだりする弾力性を有しているか否か、だと考えています。因みに国語辞書を見ますと、弾力性とは「思考や行動などの状況に応じて変化できる性質。柔軟性や融通性」と書かれています。
伸びる人は、余裕があります。例えば、ある大学の入試に同能力の2人が臨む時、一生懸命努力に努力を重ねてやっとの思いできた人と大して努力している様子もなく余裕綽々できた人がいたとします。結果として共に入学できたとしても、合格擦れ擦れで何とか選ばれた前者は、将来的に余り伸びないかもしれません。それは受験勉強の成功だけである種の達成感を得て、大学での勉強に対する意欲も無く、サークル活動やアルバイトに明け暮れてしまいがちなのではないでしょうか。
言うまでもなく仕事で伸びる人と思えるかどうかは、その人をどこまで長い目で見るかに拠るものです。初めの2、3年位で見れば余裕綽々できている方が早く伸びますが、之を10年のスパンで見ると分からない部分が出てきます。ずっと余裕綽々でくる人は要領が良いだけで本当の意味での努力をしませんから、結局次なる境地へ到達できないことがあるのもまた事実でしょう。
昨年7月、『一に人物、二に能力』と題したブログで私は次のように述べておきました――世の中には、全く勉強しなくてもIQがとても高く、大変な潜在力を持つ人がいます。彼等彼女等に様々な動機づけを行って、仕事に対する意欲を持たせると物凄く伸びるわけです。そういう意味で私は、此のポテンシャルが非常に大事だと思っています。更には、決まった仕事を熟(こな)すことに秀ずる人がいる一方で、決まった所からどんどんはみ出て行くような世界の中で力を発揮できる人もいます。色々ありますが、之も言ってみればポテンシャルということでしょう。
人の上に立つに、その人がどれ程の伸び代を有しているかを見極めねばなりません。ポテンシャル無き人に次を期待するは、中々難しいことです。之は、ある意味人の指導者になって行く役員にも当て嵌まりましょう。彼等彼女等が部下の時、出来が大変良かったかと言うと、必ずしもそうでもありません。例えば我々の生きた時代を考えてみても、小学校の秀才が大学時代も秀才であったという例は少ないような気がします。之は実に小器夙成(しゅくせい)のケースです。
小学校時代に親に尻を叩かれ猛勉強し天童とまで言われていたような人は途中で力尽きてしまって、上に行くに従い大した人物にはならず蓋を開けてみれば何か小さくまとまってしまうといったケースが多々あるように思います。それは要するにパンツのゴム紐と一緒で伸び切ってしまったら役に立たないのです。終局、「この人どこまで伸びるや分からんなぁ」という弾力性を常に持っていることが非常に大事になるのです。大器晩成型の人は弾力性があり、此の伸び代が大きいのでしょう。




 
  • 小
  • 中
  • 大



Copyright © SBI Holdings, inc. All rights reserved.