北尾吉孝日記

『閑というもの』

2018年9月20日 16:35

ひと月程前、私はWIRED.jpさんのツイート『「退屈な時間」は脳にとってある種のピットストップとなり、この時、脳は自らの創造性のガソリンを補充しているという研究結果が発表された』をリツイートしておきました。
中国古典流に言うと、之は正に「寧静致遠(ねいせいちえん)」ということです。此の句は、『三国志』の英雄・諸葛孔明が五丈原で陣没する時、息子の瞻(せん)に宛てた遺言書の中に認(したた)めたものであります。
「心安らかに落ち着いてゆったりした静かな気持ちでいなければ、遠大な境地に到達できない」といった意味ですが、事程左様に「」ということは非常に大事です。心の平静や安寧を保つとは、ある意味上記した「創造性のガソリンを補充している」という言い方になるのかもしれません。
明治の知の巨人・安岡正篤先生も座右の銘にされていた「六中観(りくちゅうかん):忙中閑有り。苦中楽有り。死中活有り。壺中天有り。意中人有り。腹中書有り」の一つに、「忙中閑有り」とあります。
どれほど忙しくとも、静寂に心休め瞑想に耽るような「」を自分で見出すことが重要です。多忙な中に閑がなければ、様々事が起こった時に対応し得る胆力を養って行くことも出来ません。ふっと落ち着いた時を得て心を癒せたら、色々なアイデアが湧いてき易くもなるでしょう。
此の「閑」という字は門構に「木」と書かれていますが、何ゆえ門構かと申しますと、それは門の内外で分けられることに因っています。つまりは「門を入ると庭に木立が鬱蒼としていて、その木立の中を通り過ぎると別世界のように落ち着いて静かで気持ちが良い」といったことで、閑には「静か」という意味が先ずあります。
そして都会の喧噪や雑踏、あるいは日々沸き起こる色々な雑念から逃れ守られて、静かに出来るといったことから「防ぐ」という意味もありますし、また此の字には「暇(ひま)」という意味も勿論あります。
ずっと齷齪(あくせく)しているようでは、遠大な境地に入ることは出来ません。「忙」という字は、「心」を表す「忄」偏に「亡」と書きますが、日頃から「忙しい、忙しい」と言う人は、ある意味心を亡(な)くす方に向かっているのかもしれません。
単に忙しいで終わってしまうのでなく、もう少し違った次元に飛躍する為、閑を意識的に作り出して行き、ものを大きく考えられるようにするのです。今迄とは全く違った世界に入って行くべく、閑というのは、非常に大事なものだと思います。




 

『有能な公務員とは』

2018年9月14日 16:55

アゴラに「役に立つ公務員、役に立たない公務員」(18年07月23日)という記事がありました。公務員である筆者は当該記事で、その線引きにつき下記のように述べています。

【自分が担当することに責任を持たない(無責任・他人事)のは論外ですが、惜しいのが自分の担当にしか責任を持たない人。自分が担当することは一生懸命に取り組みますが、それ以外のことは無関心だったり、住民等から質問されても「あっさり分かりません」と返してしまいます。(中略)担当外のことでも詳しい人に相談し、一緒に考えることの積み重ねでさまざまな人脈や知識が培われてきます。もう一歩踏み込むことが、「役に立つ公務員」と「役に立たない公務員」の違いのような気がします。】

先月24日発表された、第4回「大学1、2年生が就職したいと思う企業・業種ランキング」調査に拠ると、過去3回の調査において、いずれも公務員がTOP2を占めていた中で、今回初めて民間企業が2位に割り込む結果となったものの、「国家公務員」が3位、「地方公務員」は4年連続で1位となりました。
また、大学3年生が「就職したい企業・業種ランキング」を見ても、「地方公務員」が過去4回の調査全てで1位、「国家公務員」は直近3年続けて2位ということで、公務員は就職先として大学生に極めて人気が高いようです。そして、その理由には「安定」の類を挙げる向きが顕著ですが、そもそも公務員とは、公僕であるという気持ちがベースになければならないと思います。
国家公務員であれば、国家権力を持つようなことにもなるかもしれません。そうした地位や権力を得た場合は当然の如く、国家国民を第一に考えるという基本認識を持ち公に仕えられる人が、役に立つと言えるのではないでしょうか。あるいは、地方公務員であれば、地域住民の為どれだけ知恵を絞り汗をかけるかが、役に立つか否かの一つの決め手になるのではと思います。
何れにしろ、夫々の職場で公僕であるという基本認識の下、自分に与えられた仕事は此の社会の中で一体どういう意義があるのか、を本当に理解しようと全身全霊を傾けて考え、そして、その意義を具現化する為に、あたかも流水の淀みなく流れるように、当面している仕事を次々と処理していくが、有能な公務員ということになるのではないでしょうか。




 

『己に克つ』

2018年9月6日 17:00

先々月25日フェイスブックに投稿した『努力できる人』に対して、齊藤大輔様より下記コメントを頂きましたので、本ブログにて私が思うところを簡潔に申し上げたいと思います。

【私などは何につけても努力を続けていくことが難しいのですが、それこそ徳も足らず、習慣にする事が難しく思います。自分に負けてしまいます。努力を続けるには、やはり目標が大事でしょうか?また、自分に負けぬ心を持つことはどのような毎日を過ごせばいいのでしょうか?(中略)もし万が一お時間ある時があれば、何かの折にでもご教示頂ければ幸いです。】

自らに打ち克つ精神、所謂「克己心」は何をするにも一番大事だと思います。之は、プラトンが「勝つは己(おのれ)に克つより大なるはなし」と言うまでもなく、ある意味非常に大変なことです。しかし、やり続けて行かなければ、最終的に自分がもう一段上に行くのは難しくなるでしょう。
自分の様々な欲を抑えるのも克己ですし、自分が不可能だとしていたところを努力により出来るようなるのも克己です。そうして、自制心を働かせ色々な欲望を撥ね除けたり、努力を重ね障壁を乗り越えたりした結果として、より大きな自信が得られるのです。
そして、その自信は次により大きな目標を達成して行く原動力になるものです。自信とは自らに対する信頼であり、その本物を得ようとする中で、一つの強さが出来て行くのだろうと思います。
『論語』の「顔淵第十二の一」に、「己に克ちて礼に復(かえ)るを仁と為す」という有名な孔子のがあります。之は「克己復礼(こっきふくれい)」の元になった言葉で、孔子は「自我を没して私欲に打ち克ち、節度を守って言動の全てを礼に合致させることが仁の道だ」と教えています。
人間その殆どが己に甘く、他人に厳しいものです。悲しいかな之は、一つの性であります。ですから東洋では古来より、克己を重視するのです。克己心がなければ、人間強くはなれません。言うまでもなく仕事においても、そのまま通じます。
克己心とは、修養によって成されると思います。日々努力と研鑽を怠らず、己の欲望を撥ね除けたり障壁を乗り越えたりする生活を積み重ね行く中で、人間というのは強くなるのだと思います。




 
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