北尾吉孝日記

『己を尽くす』

2019年2月12日 17:30

嘗ての学園ドラマ『スクール☆ウォーズ』のモデルとなったラグビー指導者、山口良治さん(1943年 – )は「人間の力は、全部出し切らないと増えない。出し切らずに溜めたら逆に減ってしまう」と常々言われていたようです。後半部は減ってしまうというよりも、飛躍なくそこまでの人間で終わってしまう、ということではないでしょうか。
私は、飛躍とは何時もそうですが、今持てる全てを出し切り乗り越えたところに新たな境地が開ける、といったものだと思います。此の出し切るとは、全身全霊を以て一事に立ち向かうことであり、その達成の先に新たな自信が出来て行きます。
自信とは自らに対する信頼であり、困難を克服できた時に初めて本物になるものです。「艱難(かんなん)汝を玉にす」という言葉がありますが、本物の自信を得たいと思えば、敢えて難事に取組んでみるのが良いでしょう。
人間、困難に直面しますと必死になって考え、またその困難の程度が非常に大きいと従来的発想からの大転換が求められます。松下幸之助さんの言葉を借りて言えば、「かつてない困難からは、かつてない革新が生まれ、かつてない革新からは、かつてない飛躍が生まれる」のです。
そして自信がついてきますと、より大きなスケールで物事が考えられるようなってきます。ちっぽけな世界に生きている人は、ちっぽけな世界でしか物事を考えられません。之は、「井の中の蛙(かわず)大海を知らず」という格言にある通りです。
自らへの信が大きくなり世界はこんなにも広いものかと知れば知る程、未来へ向けた大きな絵(…ビッグピクチャー)が描けるようなってきます。このような考え方を習慣づけていますと、大局的な見方も段々と出来てくるように思います。
その一方で、時に誇大妄想的な自信過剰の人を見掛けますが、言わずもがな行き成り飛躍できるはずはありません。そうした類の人達に対しては、2年前『凡事を徹底する』と題したブログで次の言葉を贈りました。
――ぐずぐず言っている暇に努力しなさい。貴方の遣るべきを先ず遣り上げなさい。そして貴方を信頼してくれる人を周りに多く作りなさい。結果、サポートしてくれる人が増えたらば、そうした力の御蔭を被り貴方が飛躍できるのです。
物事は常に凡事を徹底するに始まり、二宮尊徳翁が説かれる「積小為大…小を積みて大と為す」という基本姿勢を貫かねばなりません。その基本の上に大きな事柄を考えて行くと、小さな問題にぶち当たった時それを克服できるようになると思います。
人生は積み上げて行くものであって、人の才の優劣に拘らずその時持てる全てを出し切り続け、積み上げた努力の結果として本当の人物になって行きます。小成に安んじたり才があるがゆえ傲慢になったりしては、結局人物として大成しないということです。
以上より、私は嘗て「今日の森信三(35)」として次のツイートしたことを思い出しました――誠に至るのは、何よりもまず自分の仕事に全力を挙げて打ちこむということです。すなわち全身心を提げて、それに投入する以外にはないでしょう。かくして誠とは、畢竟するに「己を尽くす」という一事に極まるとも言えるわけです。
此の誠とは換言すれば、信と義を併せたものと言えなくもありません。私は之が如何に大事かを、これまでも当ブログ等で幾度となく指摘してきました。それは、人生を成功に導く上で非常に大事だと思うからです。例えば『中庸』では、「誠は天の道なり。之を誠にするは、人の道なり」と厳(おごそ)かに説かれています。
あるいは『孟子』に、「至誠(しせい)天に通ず」とか「至誠にして動かざる者は未だこれあらざるなり」とかとありますが、森先生は、自分の全てを投げ出して行く必死の歩みがあってこそ誠は真の力となると言われています。
その為には、「この二度とない人生を、いかに生きるかという根本目標」となる志を打ち立てて、「つねに自分の前途を遠くかつ深く考えながら、一日一日の自分の生活を、できるだけ全力的に充実させて生き」て行かねばなりません。そして、そこから我々の真の人生が始まるのです。




 

『起業を志す方へ』

2019年2月4日 15:00

ダイヤモンド・オンラインに昨年10月、「起業したがる若者を本物かどうか見分ける4つの質問」という記事がありました。筆者曰く、その質問とは、①何をするのか、明確になっているか/②事業のアイディアがあるとすれば、その事業のビジョンは何か/③その事業は、どうやって人々を幸せにするのか/④そのビジョンに向かって、何もかも投げ出してでも突き進むというパッションはあるか、だとしています。
此の筆者の下には相談に来る若者が絶えないようですが、冒頭の質問云々以前の話として私は、そもそも「起業したいのですが…」と誰かに相談する人は、一刻も早く起業を止めた方が良いと思います。何故なら人に相談して決まるような覚悟で以て、新しく事業を始め成功を収めることなど出来るものではないからです。
「世のため人のためになる事業を何としてもやりたい」「この事業で俺は社会にこれだけ貢献できるんだ、いや、貢献したいんだ!」といった止むに止まれぬ気持ちがあり、夢を膨らませ夢を抱き続けられる人こそ起業したら良いと思います。
私のところに相談に来る人に対しては、上記のように話をしています。勿論、業をスタートした上で「中々上手く行かないのですが、どうしたら良いでしょうか?」「自分のやり方は、何か間違っているのでしょうか?」等々の相談であれば、私は出来る限り乗ってあげるようにしていますが。
私自身はと言うと49歳の時、インターネットを活用した金融事業によって投資家主権あるいは消費者主権を確立し、金融サービスの顧客便益性を高め、社会に貢献することが自らの天命の一つではないかと思えるようになり、起業を果たしました。
また、当時もう一つの天命として認識したことは、事業を通じて得た利益を社会に還元すべく、公益財団法人SBI子ども希望財団やSBI大学院大学、社会福祉法人慈徳院を設立し、直接的な社会貢献をすることでした。孔子ではありませんが、次世代を担う人物の育成こそが社会に対する最大の貢献になると考えたのです。
人間は社会的な動物であり、周りによって生かされています。そういう人間として生まれてきた以上、何か社会で果たすべき役割があるはずです。その役割が「天命」というものです。我々にとって天命を知ることは、生きる目的を知ることだと言っても過言ではないでしょう。
最後にもう一つだけ、世のため人のためと大志を有し起業する人、あるいは起業した人に伝えたいのは、棺桶に入るまで学を磨き続けねばならないということです。「知識の欠如」「実行力の欠如」「戦略の欠如」という『「三無」の先に成功なし』(15年3月16日)とは当ブログで幾度も指摘してきた通り、成功する上で専門的な知識等が必要になるのは言うまでもありません。
しかし、何よりも大事なのは人間学を修めることによって自らの身を修め、そして人間的魅力を高めて行くことではないかと思います。曾子(そうし)が「任重くして道遠し」(『論語』)と述べているように、人道を極めて多くの人を感化し、そして此の社会をより良くして行く任というのは本当に重いものであります。




 

『品格ある年の重ね方』

2019年1月25日 16:35

定期購読誌『ハルメク』2018年12月号の「巻頭インタビュー」は、脚本家の「内館牧子さんが考える品格ある年の重ね方」というものでした。当該テーマに対しては各人より様々な解釈があり得るでしょうが、以下私の考え方を簡潔に述べておきたいと思います。
はじめに、品格や品性ということで私見を申し上げると、とどのつまりそれこそが最も大事な人間の値打であり、そこに尽きるのではないかと思っています。之に関しては、一年前のブログ『品性というもの』等に書いておいた通りです。
例えば、ある程度年をとって結婚式のスピーチを頼まれたといった時、「この人、ダラダラダラダラと何か喋ってはいるけれど、何を言っているのかなぁ?さっぱり分からないんだけど…」と皆から思われるような人は、馬齢を重ねていたと言わざるを得ないでしょう。
やはり、それだけの年をとり、それだけの経験を踏まえたら、それなりの品格が感じられる話が出来る人間になっていないといけない、と私は思います。但し、「人生100年時代」と言われている中で、仮に80歳で出来たとしても、90歳・100歳でそのように出来ないかもしれませんが。
90歳を超え、アルツハイマー病になるとか脳血管性認知症になるとかで、どうにもならないというケースも多分にあると思われます。従って、品格ある年の重ね方とは、あくまでも自分の頭がはっきりし、記憶力もあり、判断力も充実している時点において可能なことだと言えましょう。
病気だ痴呆症だといった状況下、脳がダメージを受け機能不全を起こして行く中で、人間が品格を保てなくなるのは仕方がありません。此の時には、その人による品格ある年の重ね方でなく、その人の面倒を見る例えば家族による品格ある対応の仕方こそが、より大事になるのだと私は思います。
今、どんどん認知症が進みつつある母親(94歳)を見ていて、「品格ある形での応じ方とは、一体どういうものか」とふと考えてみたり、自分自身に言って聞かせたりしています。




 


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