北尾吉孝日記

『実践力とは』

2019年9月12日 17:45

『論語』の中には、言だけで行動が伴わないことを戒める章句が沢山あります。例えば、拙著『ビジネスに活かす「論語」』では、「君子は言に訥(とつ)にして、行(こう)に敏ならんと欲す・・・君子は言葉にするよりも素早く実行できるようにしたいと望む」(里仁第四の二十四)、あるいは「子貢(しこう)、君子を問う。子曰く、先ず其の言を行い、而(しか)して後にこれに従う」(為政第二の十三)といった孔子の言を御紹介しました。
全くの言行不一致を繰り返す人、一言で言えば「言うだけ番長…言葉ばかりで結果が伴わない人」の類では御話になりません。しかし現実は由々しきもので、言うだけ番長で終わる人、また見識(…知識を踏まえ善悪の判断ができるようになった状態)はあるにせよ胆識(…勇気ある実行力を伴った見識)を有するに至らない人が非常に多いように思います。
明治の知の巨人・森信三先生も言われるように、「キレイごとの好きな人は、とかく実践力に欠けやすい。けだし、実践とはキレイごとだけではすまさず、どこか野暮ったくて時には泥くさい処を免れぬもの」であります。実践力とは結局、「言ったことをきちっとやり遂げる」「出来ないことを言わない」といったものです。Don’t tell me.Just show me…もう言うのは分かりました。貴方の行動で見せて下さい--之は私が何時も使うフレーズですが、概して知行合一的に物事を処理して行ける人は極めて少ないように思います。
では、如何なるやり方で実践力を得て行けば良いのでしょうか。例えば、私が私淑するもう一人の明治の知の巨人・安岡正篤先生は、『照心語録』の中で次の通り述べておられます--われわれの生きた悟り、心に閃(ひら)めく本当の智慧、或いは力強い実践力、行動力というようなものは、決してだらだらと概念や論理で説明された長ったらしい文章などによって得られるものではない。体験と精神のこめられておる極めて要約された片言隻句によって悟るのであり、又それを把握することによって行動するのであります。
安岡先生の此の言は全くその通りで、そうした片言隻句を頻繁に念仏のように唱えることで自身の習慣のように身に付けて行くことが一番大事だと思います。書に出ているような難しい事柄でなくて、日頃から何事も言は行に結び付けねば無意味だとして日々の生活の中で事上磨錬(じじょうまれん)して行くのです。
習慣また親の教えとして自分自身が小さい時からずっと、「言ったことはやる」「約束は守る」といった形でやり続けていると、知らず知らずの内に実践力も得られてくるものです。もっと言えば、自分自身に義務化して行く位の覚悟で以て物事を処理する仕方を習慣として身に付けて行く、ということではないでしょうか。その人の実践力の有無あるいは程度とは、そういった習慣が身に付いているかどうかだと私は思っています。




 

『天を信ずる』

2019年9月4日 16:45

明治・大正・昭和と生き抜いた日本が誇るべき偉大な哲学者であり教育者である森信三先生は、信というものに関し様々述べておられますが、一つに「信とは、人生のいかなる逆境も、わが為に神仏から与えられたものとして回避しない生の根本態度をいうのである」との言葉を残されています。私は、此の信とは言い換えれば、天に対する自分の信念だと思います。
例えば『論語』の「子罕(しかん)第九の五」に、「孔子一行が衛の国を出て陳の国へ向かう途上で、魯の国で一時期権勢を誇った陽貨という人物と間違われて陽貨に恨みを抱く匡(きょう)の人々に捕らえられてしまった時のエピソード」があります。
拘禁された孔子はその時、ひょっとしたら殺されるかもしれないといった中で、次のように言いました--文王(ぶんおう)既に没したれども、文茲(ここ)に在らずや。天の将(まさ)に斯(こ)の文を喪(ほろ)ぼさんとするや、後死(こうし)の者、斯の文に与(あず)かることを得ざるなり。天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人(きょうひと)其(そ)れ予(わ)れを如何(いかん)。
之は、「周の文王は既に亡くなっているが、彼の始めた文化は私が受け継いでいる。もし天が彼の始めた文化を滅ぼしてしまおうとお考えなら、そもそも私がそれを受け継げる道理が無い。しかし現に私がその文化を受け継いでいる以上は、匡の人々ごときが天に逆らって私をどうにかできるはずもない」といった意味になります。
あるいは、『論語』の「述而(じゅつじ)第七の二十二」に、孔子が宋の国の軍務大臣であった桓魋(かんたい)に命を狙われ、絶体絶命の危機に陥った時に発した言、「天、徳を予(われ)に生(な)せり。桓魋其れ予を如何せん」があります。
之は、「天は私に徳を授けてくださった。その徳を持つ私を、桓魋ごときが殺せるわけがない」といった意味になります。孔子はどれ程の窮地に追い込まれようとも、なお心の状態を平静に保つ、大変な肝が据わった人物だったのです。上記章句からも分かるように、孔子が如何なる時も「恒心…常に定まったぶれない正しい心」でいられたのは、天に対する絶対的な信頼感を有していたからでありましょう。
『論語』の中には、孔子が天に対しある意味絶対的な信を寄せていたと感じさせる言葉が沢山出てきます。「我を知る者は其れ天か」(憲問第十四の三十七)も、その一つです。ですから、孔子は「人生のいかなる逆境も、わが為に神仏から与えられたものとして回避しない」わけで、来たる大事に向け自分を鍛える為に天がそうしているだけのことだと捉えるのです。
これ正に『孟子』にある、「天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志(しんし)を苦しめ、其の筋骨を労し、その体膚を餓えせしめ、其の身を空乏にし、行ひ其の為すところに払乱(ふつらん)せしむ。心を動かし、性を忍び、その能(あた)はざる所を曾益(ぞうえき)せしむる所以(ゆえん)なり」ということです。人生には、予想もしないような困難に遭遇することがあります。そんな時に不遇を嘆くのではなく、天の与えたもうた試練と思い、そのままを素直に受け入れる、といった態度が一番良いのではないかと思っています。




 

『重役というもの』

2019年8月29日 15:00

日本経済新聞に今年1月、「重役にしてはいけない人」という記事がありました。そこでは先ず、「会社の取締役や監査役といった名前が欲しいだけの人」「いい人だが能力がない人」「会社を私利私欲のための手段とする人」、の3点を渋沢栄一翁の名著『論語と算盤』より挙げて指摘しています。
そして最後に筆者は、「自分と異なる意見を持つ人間を排除する人」「学ばない人」「周囲の人を大切にしない人」、の3点を上記に付け加えたいとしていますが、私に言わせれば、それら全ては渋沢翁による3点の中に包含されているように思われます。
「自分と異なる意見を持つ人間を排除する人」も「周囲の人を大切にしない人」も、「会社の取締役や監査役といった名前が欲しいだけ」で「会社を私利私欲のための手段」として考えているのでしょう。つまり本当に会社のためを思い考えて、公のため何とかプラスになる事柄をやろうとすれば、当然人を「排除する」とか「大切にしない」ということにはならないからです。
公に奉ずるとは、結局のところ上であろうが下であろうが同じです。しかし、上には上の役目があります。安岡正篤先生も『東洋宰相学』の中で、「リーダーとなるべき者が読んで実行すべきものとして」推奨されていますが、重役の在り方というのは、佐藤一斎の『重職心得箇条』(文末参照)に尽くされていると思います。
また、「学ばない人」が「能力がない」のは明らかですが、重役に就けるに「いい人」だけではしんどいと思います。リーダーシップを発揮し多くを引っ張って行くわけですから、人がいいだけでは無理でしょう。重役に相応しいか否かは基本、それだけの責任を担う資格があるかどうか、ということです。
併せて、下の人達がその人を重役と仰ぐことに賛同するかどうか、も大事になります。人望とは、人がいいだけで出来るものではありません。社会や人を正しい方向に導いて行けるだけの能力が求められると共に、何時も公正無私の姿勢を貫き自分を正しく律して行かなければなりません。
『論語』の「子路第十三」に「其の身正しければ、令せざれども行わる。其の身正しからざれば、令すと雖(いえど)も従わず」や、「其の身を正しくすること能(あた)わざれば、人を正しくすることを如何(いかん)せん」という孔子の言があります。
どれほど知識・技術・才知に長けていたとしても、それだけで下は動きません。多くの弟子が孔子に従いあれだけの人望が集められたのも、彼自身が「修己治人(しゅうこちじん)…己を修めて人を治む」が出来ていたからこそです。重役たる者、常に自分の私利私欲の類を度外視し、様々なディシジョンメイキングをして行かねばなりません。

≪重職心得箇条―要約
一、小事に区々たらず、大事に抜目なし。重職の重たる字は肝要なり。
二、大度を以て寛容せよ。己に意あるもさしたる害無き時は他の意を用うべし。
三、祖先の法は重宝するも、慣習は時世によって変易して可なり。
四、自案無しに先例より入るは当今の通病なり。ただし先例も時宜に叶えば可なり。
五、機に従がうべし。
六、活眼にて視るべし。物事の内に入りては澄み見えず。
七、苛察は威厳ならず。人情を知るべし。
八、度量の大たること肝要なり。人を任用できぬが故に多事となる。
九、刑賞与奪の権は大事の儀なりて軽々しくせぬ事。
十、大小軽重の弁を失うべからず。時宜を知るべし。
十一、人を容るる気象と物を蓄る器量こそが大臣の体なり。
十二、貫徹すべき事と転化すべき事の視察あるべし。これ無くば我意の弊を免れ難し。
十三、信義の事、よくよく吟味あるべし。
十四、自然の顕れたるままにせよ。手数を省く事肝要なり。
十五、風儀は上より起こるものにして上下の風は一なり。
十六、打ち出してよきを隠すは悪し。物事を隠す風儀とならん。
十七、人君の初政は春の如し。人心新たに歓を発すべし。財務窮すも厳のみにては不可なり。




 


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