北尾吉孝日記

『交渉の成否』

2018年10月11日 15:05

BUSINESS INSIDER JAPANに以前、「交渉が苦手な人に送る、9つのアドバイス」(18年7月1日)という記事がありました。そこには「専門家のアドバイス」として様々書かれているわけですが、第一に挙げられている『「交渉」は「ケンカ」とは違う』とは明らかで正にその通りだと思います。
交渉の基本は現代風に言えば、Win-Winの状況を如何に作り出すかということです。は、相手の立場を思い遣る「仁(じん)」の思想に通ずることです。あるいは、正反合(…ヘーゲルの弁証法における概念の発展の三段階。定立・反定立・総合)と進む中で、互いに納得できる妥協点を見出し行くものと言えましょう。中国古典的に言えば、より高次元の中庸に達すべく為され、物事の平均値や中間点の類として捉えるものではありません。
交渉において私が一番大事だと思うのは、「巧詐(こうさ:上手く誤魔化すこと)は拙誠(せっせい:下手でも真面目)に如かず」と韓非子が言うように、自身の利益だけを考えるのでなく相手の立場に鑑み真心を尽くして向き合っている、といった誠実さが相手に伝わるということです。
『「兵は詭道なり」。つまり戦争・戦略というものはいかに相手をいつわるか、ということが根本である』とし、「敵」である交渉相手を如何に上手く騙すかと常々考えていたら、交渉などというのは失敗することはあっても成功することはありません。交渉を纏め決着をつけようと思えば、拙誠が何よりも大事になるのです。
また、グローバルなビジネスをすると、肌の色や言葉あるいは顔付き等々全く違う人間とよく対峙します。例えば白人に対し、英語で話さねばならないというプレッシャーもあって、中々自分の意見を十分言えない日本のビジネスマンも多いですが、そんなことを気にする必要は全くないと思います。
相手は母国語ですから、英語が上手くて当たり前です。「辞は達するのみ」(衛霊公第十五の四十一)と『論語』にもあるように、上手い下手関係なしに言葉の意味が通じれば、それで良いのです。勿論、色々な知識を鏤めながら滔々(とうとう)と話が出来たらば、それに越したことはありません。
しかしそれも、誠実さには及びません。一人の人間が他の人間と接した時最も大事になるのは、言葉はたどたどしくとも、礼儀正しく謙虚に振る舞いながらWin-Winを模索するということであります。対人交渉においては、人間として立派だと相手に思われることが第一です。上手く巧みな言葉を幾ら使ってみたところで立派な交渉とは言えず、終局誠実さには及ばないのです。




 

『金持ちになる人』

2018年10月3日 16:15

『誰もが知っておくべき!「お金持ち」になる6つの方法』(18年9月17日)や、『「お金持ち」になる人となれない人の「小さな分かれ目」』(18年6月7日)、あるいは「お金持ちになる人の4つの特徴~多くの富裕層を見てきた金融機関OLが語る」(18年7月29日)等々と、種種雑多な「金持ち論」がネット上には溢れています。私の感じでは基本、犯罪行為に手を染めない限りにおいて、お金というのは得ようと思って得られるものではないと思っています。
先ず、どうやって得るかといった類を考えるよりも、日々与えられている仕事を一心不乱に兎に角やり抜くことが大事です。それが結果として幾らかの報酬に繋がり、また今度は更に大きな志を得られて、もっと世のため人のためになる事業をやりたい、というような境地に入って行くことにもなります。
世のため人のためを思い、志を抱いて必死になって努力するのであれば、誰にだって成功する可能性があるのです。そして成功すればお金が入ってくる、といったこともあるでしょう。他方言うまでもなく、世のため人のためを幾ら思っても成功しないケースがあります。それは、それだけの分(ぶ)だということです。
中庸』に、「君子は其の位(くらい)に素して行い、其の外(ほか)を願わず…君子というものはその自らの立場・環境に応じて自らを尽くし、他の立場や環境を欲したりはしない」とあります。富貴には富貴で、貧賤には貧賤で対応できるのが君子ですから、それはそれで諦めて行くということです。
一生懸命「位に素して行い」、また位が変われば其の位に素して行う--驕ることなくまた卑屈になることなく自分の立場をきちっと弁えて、天意を素直に受け止め与えられた範囲内で地に足を付けて淡々と生きて行く「素行自得(そこうじとく)」の生き方が正しいのだろうと思います。
また『論語』に、「死生命あり、富貴天に在り…生きるか死ぬかは運命によって定められ、富むか偉くなるかは天の配剤である」(顔淵第十二の五)という子夏の言があります。金持ちになるかどうかは、天の配剤としか言いようがないのです。但し、天意に沿わぬものは基本的には泡銭(あぶくぜに)ですから、たとえ入ってきても直ぐに無くなって行くことでしょう。望まずとも偶々莫大な遺産が転がり込んできたようなケースは泡銭と同じで、詰まらぬことに使って直ぐに底を突くわけです。長期に亘って真にお金を得ようと思うならば、世のため人のためという志が大前提です。世のため人のためでお金を作った人は、また世のため人のためにそのお金を使うのです。




 

『閑というもの』

2018年9月20日 16:35

ひと月程前、私はWIRED.jpさんのツイート『「退屈な時間」は脳にとってある種のピットストップとなり、この時、脳は自らの創造性のガソリンを補充しているという研究結果が発表された』をリツイートしておきました。
中国古典流に言うと、之は正に「寧静致遠(ねいせいちえん)」ということです。此の句は、『三国志』の英雄・諸葛孔明が五丈原で陣没する時、息子の瞻(せん)に宛てた遺言書の中に認(したた)めたものであります。
「心安らかに落ち着いてゆったりした静かな気持ちでいなければ、遠大な境地に到達できない」といった意味ですが、事程左様に「」ということは非常に大事です。心の平静や安寧を保つとは、ある意味上記した「創造性のガソリンを補充している」という言い方になるのかもしれません。
明治の知の巨人・安岡正篤先生も座右の銘にされていた「六中観(りくちゅうかん):忙中閑有り。苦中楽有り。死中活有り。壺中天有り。意中人有り。腹中書有り」の一つに、「忙中閑有り」とあります。
どれほど忙しくとも、静寂に心休め瞑想に耽るような「」を自分で見出すことが重要です。多忙な中に閑がなければ、様々事が起こった時に対応し得る胆力を養って行くことも出来ません。ふっと落ち着いた時を得て心を癒せたら、色々なアイデアが湧いてき易くもなるでしょう。
此の「閑」という字は門構に「木」と書かれていますが、何ゆえ門構かと申しますと、それは門の内外で分けられることに因っています。つまりは「門を入ると庭に木立が鬱蒼としていて、その木立の中を通り過ぎると別世界のように落ち着いて静かで気持ちが良い」といったことで、閑には「静か」という意味が先ずあります。
そして都会の喧噪や雑踏、あるいは日々沸き起こる色々な雑念から逃れ守られて、静かに出来るといったことから「防ぐ」という意味もありますし、また此の字には「暇(ひま)」という意味も勿論あります。
ずっと齷齪(あくせく)しているようでは、遠大な境地に入ることは出来ません。「忙」という字は、「心」を表す「忄」偏に「亡」と書きますが、日頃から「忙しい、忙しい」と言う人は、ある意味心を亡(な)くす方に向かっているのかもしれません。
単に忙しいで終わってしまうのでなく、もう少し違った次元に飛躍する為、閑を意識的に作り出して行き、ものを大きく考えられるようにするのです。今迄とは全く違った世界に入って行くべく、閑というのは、非常に大事なものだと思います。




 
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