北尾吉孝日記

『人生を変える方法』

2020年4月2日 17:35

ダイヤモンド・オンラインに先々月5日、『社会人になってから「成長が止まる人」の特徴』と題された記事がありました。筆者のレオス・キャピタルワークス株式会社の代表取締役社長・最高投資責任者(CIO)、藤野英人さんは冒頭で次のように仰られています――人生を変える方法は、3つあると言われています。「環境を変える」「時間の使い方を変える」、そしてもう1つが、「付き合う人を変える」です。

此の事につき私なりの意見を申し上げると、先ず一つ目の環境というのは、自ら変えられるものと変えられないものがあります。厳密に言えば時間を経て変えることは出来るかもしれませんが、少なくとも短期間で変えられないものがあると思います。その一つが、自分が大人に成長する過程で置かれた環境です。
それは例えば、「どういう家庭で育つか」「どういう学校に進み、どういう人から学ぶか」「どういう友達を得、どういう先輩の知遇を得るか」、といったことであります。確かに、どれも非常に大きな影響を与えると思います。しかし、自分の人生を変えるぐらいの人というのは、単なる遊び仲間ではないはずです。
やはり、自分が心底「この人は尊敬できる。見習いたい、そういう人間になりたい」と思うような、正に「敬」の心を持てる素晴らしい人との巡り会いが、私は自分自身を変える上で、そしてまた、自分の人生を結果として変える上で最大の要素になると考えています。
自分より優れた人間を見た時その人を敬する心を持つのと同時に自分がその人間より劣っていることを恥ずる心を持つということ、此の「敬と恥」が人を変える一つの原動力になるのです。之については敬があるから恥があるというふうに言えるもので、人間誰しもが持っている一つの良心と言っても良いのかもしれません。
あるいは人との出会いだけでなく、それは書物との出会いでも同じことが言えます。時空を越えて古今東西の偉人達から書を通じ虚心坦懐に教えを乞うといったこともあるでしょう。それも広い意味では、環境と言えなくもありません。
自分を取り巻くあらゆる事柄は、自分を変える一つの要素になり得るのです。先哲より学んだ事柄を日常生活で日々知行合一的に練って行く中で初めて、人間は段々と変わって行けるものだと思います。

二つ目の時間というのは、貴賤貧富を問わず誰にとっても一日24時間、公平に与えられています。それ故、此の時間をどう使うかということが、その人の一生を決めて行きます。例えば、吉田松陰や坂本龍馬の如く非常に短命で早世する人もいますが、彼らは人生をある意味深く生き後世に名を残すことが出来た人達です。
では、彼らのように早世しても尚名を残し得た人物と、我々凡人とを比べた時に一体何が違うかと考えてみるに、私は志と覚悟が決定的に違っているのだと思っています。人間として生まれ、如何なることに志を立て自らの時間を使うか、ということを真剣に考えない人が最近は結構多いように感じます。
限られた時間を如何に有効活用するかとは、中国古典流に言えば惜陰(せきいん:時間を惜しむこと)という言葉があります。此の惜陰を頭に入れて、時間の進む速さとその使い方を考え続けている人は極めて少ないと思います。
我々が子供の時に習った、「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず。未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢、階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声(しゅうせい)」や、「年年歳歳花相似たり歳歳年年人同じからず」といった有名な漢詩においても、先哲は此の世の儚さを感慨すると共に、片一方で寸暇を惜しんでいるわけです。
人間というのは儚く何時死ぬか分からぬものであり、人生は二度ない、という真理を先ずは肝に銘じるのです。次にその中で、天が自分に与えた此の地上におけるミッション「天命」を見出し、その天命を果たし行く上で自分の人生の時間を如何に使って行けば良いかを真剣に考える、ということが此の上なく大事になると思います。
昨日の我がグループ入社式訓示でも、新入社員達に此の辺りの話を次のように述べておきました――天命を受けたら先ずは、此の世にこうして生まれたこと自体に感謝をし、元気でいられることに感謝をし、そしてそれが故に、後世への遺産を残すべく研鑽を積み重ねて貰いたい、というふうに思います。そして研鑽を積み重ねる上で大切なことは、時間ということです。
此の全編「2020年 SBIグループ入社式」はYouTubeで閲覧できます。14世紀のペスト及び昨今の新型コロナウイルスのパンデミックにも触れています。御興味のある方は是非そちらも御覧頂ければと思います。

最後に三つ目の付き合う人というのは、一つ目に論じた環境に強く関係しています。ただ上記記事で藤野さんが『人間関係において、お金や時間を「浪費しているな」と感じるのが、同世代や同じ会社での飲み会です』と述べておられるのは、確かにその側面はあるでしょう。
商人の町であった大阪・船場では、「年寄りは若い人、若い人は年寄りを友だちにしなさい」と昔から言われてきました。若者は年長者の経験から学び、年長者は若者の感性から学ぶのが大切だということです。
私自身も新入社員の採用を自ら行って、彼らを育てたい一心で隔週で課題を出しレポートを書いて貰うということをずっと続けています。そういう中で我々が教えるだけでなく、若者の感性から我々が学ぶことが出来ると考えています。
之は書き物を通してではありますが、私にとって大変貴重な時間であります。そうやって互いに学び合うことが大事なのではないでしょうか。そして、それはまた人生を変える一つの要素になるとも思われます。
『後漢書』の禰衡(でいこう)の伝記に次の故事があります――禰衡逸才(いつさい)有り、少(わか)くして孔融(こうゆう)と交わる。時に衡未だ二十に満たず、而(しこ)うして融は已(すで)に五十、忘年の交を為す…禰衡は人並みはずれた才能があった。年若くして孔融と交わった。その時、衡は20歳にならなかったが、融はもう50歳だった。二人は忘年の交わりを結んだ。
忘年会を「年忘(としわすれ)」として誤認している人が大多数でしょう。「忘年」の本当の意味は、「長幼の序を忘れる」「年齢を忘れる」ということです。世代を超えた友情を築くのが本来の姿なのです。「忘年の交わり」は正に、人生を変える一つの要素として非常に大事だと思います。




 

今月9日のブログ『続・新型コロナウイルス雑感』に記した通り、私は当社内で全役職員に告ぐという形で此のコロナウイルスに対する評価、即ち「之はリーマンショックを超える非常に大きな影響を与え得るものだ」という強烈なメッセージを比較的早い時期に出しました。
それは単にウイルスに対する備えとして、マスク・手洗い・うがい・アルコール消毒あるいは多くが集まる所に行かないといったことは勿論、リモートワークや時差出勤等についても会社として効率的な組織を保つ為どういうふうにして行くべきか等々を述べておきました。
オリンピック・パラリンピックが延期または中止となる可能性も大きいし、消費税の増税もあり日本経済のダメージは極めて大きいという、小生のこれからの見通しを述べると共に、経費節減や決算対策等々についても述べました。
その時話しながら私が思い出していたのは、「好況よし、不況さらによし」という松下幸之助さんの言葉です。コロナウイルスで未曾有の不況に世界が突入している今こそ、此の気持ちを持たねばならないのではないかということです。私流に解釈すると、松下さんの言葉には二つの意味があると思います。
一つは、長い間には「悪いときを乗り越えなければならない時期」が必ずあるという当たり前のことです。良い時期・悪い時期と多様な経験をする中で、人は成長します。会社もやはり同じで、悪い時もあれば当然ながら良い時もあるのです。
もう一つは、不況は会社にとって本物に生まれ変わるチャンスだということです。不況期には、ものやサービスは簡単には売れません。そこで会社としては、徹底的に設計段階から製品やサービスの見直しを行います。会社が生き残る為、身体を筋肉質にし、体力をつけて行く絶好の機会となるのです。
更に、不況の時は普通のことをやっていても効果がありませんから、思い切った発想・新しい発想が生まれてくるようにもなります。松下さんは「かつてない困難からは、かつてない革新が生まれ、かつてない革新からは、かつてない飛躍が生まれる」とも仰っています。
困難があると必死になって考え、またその困難の程度が非常に大きいと従来発想からの大転換が求められます。松下さんの言葉「五パーセントより三〇パーセントのコストダウンのほうが容易」というのも、30%のコストダウンといった並大抵では成し遂げられないことをやろうとなれば、ゼロから見直さねばならず抜本的な発想の転換が迫られるからです。そういった機会を与えてくれるのが不況だと思います。全く別の発想でものを考えるようになりますし、それは大胆な変革になってくるのです。
革新的な発想というのは、順風満帆の中では中々生まれてきません。寧ろ環境の悪い時の方が、良い発想が出てきます。松下さんの考えは、そんな体験の中から生まれた味のある言葉だろうと思います。
最後にもう一つだけ、松下さんは「この不景気に困ったな、この不景気にじっとしているより仕方ないな、というような消極的な考えを、もし持たれたとするならば、それは私は反対であります」とも述べておられます。
景況の悪い時期にこそ普段できなかったことをする、換言すれば、できる時期でもあるし、やらねばならぬ時期である、というふうに松下さんは言われています。それが、30%のコストダウンのような大胆な発想に繋がるわけです。
悪い時期に、じっと待っていることは何の役にも立ちません。有事の際は弾が通り過ぎるのを待っているといった日本人的発想では、企業は上手く行くはずがないのです。機を捉え、自らを変えて行く――それが企業をより強くして行くのだと思います。




 

『発想力とは』

2020年3月23日 18:20

早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問の野口悠紀雄さんは以前、「発想力とIQの関係」について次のように述べておられたようです(『致知』2001年12月号)――ニュートンもアインシュタインもあまりIQは高くなかったようですし、学校の成績と発想力は関係がないと考えたほうがいいでしょう。(中略)(ある米国企業の調査結果に依ると、)発想力はIQなどではなく、自分ができると思っているかどうか、という意識のベクトルの差が非常に大きいというのです。
此の「意識のベクトルの差」が発想力に関係するということは、例えば豊臣秀吉が「負けると思えば負け 勝つと思へば勝つものなり」と言っていたり、ナポレオン・ボナパルトが「私はできる、と考えている人が結局は勝つ」とか「能力に限界を加えるものは、他ならぬあなた自身の思い込み」とか言っているのに通ずるところがあるように思えます。
発想が豊かな人は往々にして、『あらゆる事柄において「自分ならどう処すか」と主体的に捉え、選択肢を常に考え続ける人』のように思います。何事でも色々な選択肢を自ら主体的に出して行くような人は、そこに新たなる発想というものも自然と齎される確率が高くなるというわけです。そうした思考法に慣れるためトレーニングを積んで行くことも、大事だと思います。
その上で野口さんの御指摘につき申し上げれば、確かにIQの高低と発想力は余り関係ないのかもしれませんが、IQの高い方で何らかのスペシャリティがあり、そこに精通している方が新たな発想で、御自分の専門外の分野で様々な発信をされておられるようなことも見聞きします。それは、一芸に秀ずれば結果として万芸に秀ずる、ということかもしれません。
人間というのは、一道を極めるべく大変な努力や人知れぬ苦労を重ね行く中で、他の事柄に対しても、それなりの判断力が養われて行くものです。数学者として一芸に秀でていた岡潔先生を例に見ても、関心を持たれていた仏教や教育といった全く違う分野において、晩年様々な論文を書かれ素晴らしいものを残されています。
あるいは、日本人として初めてノーベル賞を受賞された湯川秀樹氏にしても、その評論や文章等を色々見ますと、物理学者でありながら素晴らしいものを残されています。一道に人一倍の苦労をし知恵を絞り切った経験を持つ人物は、やはり他分野でも自然と磨かれ、参考になるアイディアが出てくるのだろうと思います。
何れにせよ、誰もが同じ発言を繰り返していたら、誰も面白いとは思わないでしょう。だからと言って、何でも彼んでも人と違っていたら良いわけではありません。他の人が聞見して面白いと感じるのは、少し違った視点や観点そして「なるほどなぁ~」と思わせる何かが、そこにあってこそです。ベースとなるものを持たぬ人に突然天から面白いアイディアが降ってくる、といったは極めて稀だということです。発想力とは、その人に何らかのスペシャリティがあり、そこで磨かれた何かがあって、その結果として備わるものではないかと思います。




 
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