北尾吉孝日記

『友人の急逝に思う』

2009年3月23日 9:08
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先週水曜日に大学時代のクラスメイトのお通夜に行って来ました。彼は高校時代はサッカーに打ち込んでいたスポーツマンでした。大学卒業後は株式会社住友銀行に入り、それから子会社の常務執行役員をやっていました。聞いた話によりますと、若干血圧が高く、高血圧の薬を飲んでいたそうですが、今回は家族同伴でスキーに行っていて、その時に逝去したとのことです。

58歳の同じ年の人間、しかも年に1、2度会っていた友人が急逝し、非常に寂しい気持ちになりました。また片方では、人間の儚さを感じました。「散る桜残る桜も散る桜」という良寛の有名な句がありますが、日本人は昔から様々な感慨を持って、非常に短期間で散っていく桜の花を見てきました。あるいは蝉も蝉時雨というぐらい鳴きますが、それもおよそ一週間の命です。そういった生き物を通じて、日本人は昔から人の世の儚さ、人間の儚さを歌にしたり、文章にしたり、あるいは何もせずにただ考えてきましたが、今回の友人の急逝に改めてこの「儚さ」を思いました。

この桜の花ではなく桃の花ですが、「年年歳歳花相似たり歳歳年年人同じからず」という有名な漢詩の一節がありますが、その自然もまた何年か経てば朽ちて行くわけです。およそこの世にあるもの全ては、いつの日か必ず朽ちていくわけで、この世の儚さを思います。儚いから故、我々がどうしなければいけないかと言うと、一つは時間を大切にすることが非常に大事だと思います。それが惜陰という考え方で、まさに寸暇を惜しむということです。人間は必ず死に、そして、人生は二度ありません。だからこの一時一時を大切にし、寸暇を惜しんでいかなければなりません。もう一つは、今というこの瞬間を大事にしていくということです。

先哲はそういった自然界の事象を見ながら、この二つの事を言ってきたわけです。特に東洋ではこの世の儚さを感慨すると共に、片一方で寸暇を惜しんでいます。例えば、「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず。未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢、階前(かいぜん)の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声(しゅうせい)」という有名な漢詩があります。このように先哲は、この世の中の儚さと時間の進む速さを語り、今一生懸命努力しなければいけないと、諭しているわけです。

今回クラスメイトのお通夜に行き、このようなことを思いました。
合掌。




 

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