北尾吉孝日記

『児童虐待と戦後教育』

2009年5月1日 10:18
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昨今の報道を見ますと、誠に痛ましい事件が次々と表面化してきています。例えば、「言うことを聞かせるために、娘を熱湯に入れたらどうなるだろう」「面白そう。どんなリアクションをするだろう」という信じ難い理由で19歳の母親とその友人が2歳の子供を熱湯につけるという事件(※1)、あるいは離婚経験のある母親と一緒にいる子供が次の伴侶に虐待されるというもので、ベランダに放り出されて死亡した松本聖香さんの事件もその一つとしてあります(※2)。
離婚をしたとは言え、前の亭主との子供がそのように扱われていることを見て、母親は何も思わないのか、なぜ止めないのかと非常に驚いてしまいます。

私自身は埼玉県嵐山町に慈徳院(こどもの心のケアハウス嵐山学園。故安岡正篤先生の記念館の目と鼻の先にあります)という情短施設(情緒障害児短期治療施設)を個人的な寄付で作りましたが、そこにいる約30数名の生徒たちもやはり様々な虐待を親から受けて、現在そこで精神面での治療をされています。そこで私自身が生徒たちの痛ましい過去を直接知るにつけ、考えられないことを平気でする親がいることに改めて愕然としてしまいます。孟子の言う「惻隠の情」、要するに「子供が井戸に落ちそうになっていれば、皆が助けに行こうとする」という人として忍びずの気持ち・心は、人間皆が持っていると孟子は言いましたが、果たしてそれがあるのかと疑いたくなるような人が大勢出てきています。年を追うごとに虐待児の数が増えており、誠に心が痛む状況であります。微力ながらこの虐待問題について、財団法人SBI子ども希望財団や私の作った情短施設を通じて、救済活動を行っています。

なぜこのように虐待される子供が増え、時として死に至るような状況になっているのかと考えますと、それは戦後の教育に問題があったのではないかと思っています。親と子のあり方、兄弟のあり方、あるいは友人のあり方と言うことについて、教育する必要性があると思います。例えば、親子について言えば、親の子に対する無償の愛や、あるいは子の親に対する孝など、戦前はそのような徳目がしっかりと教えられてきました。兄弟のあり方や友人のあり方についても同様に教えられてきました。それが今やそのようなことが古い儒教的な考え方として人々に全く受け入れられない状況になっています。今や誰も見向きもしないような状況であり、家庭でも学校でもそのようなことが教えられなくなりました。このようなことが年々虐待児が増えている原因ではないかと私は思っています。

参考
※1:http://www.asahi.com/national/update/0428/TKY200904280152.html?ref=rss
※2:http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090427-OYT1T00688.htm?from=nwla




 

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