北尾吉孝日記

『言語教育の在り方』

2009年5月20日 8:37
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学習指導要領の改訂により4月から小学校で英語の授業が始まりましたが、教育各社はこれから英語教育事業を強化していくようです(※1)。
子どもの時から外国語教育に力を入れることも結構ですが、小学生の時は母国語の本をたくさん読むことがより大切であると思います。やはり子どもの時は一つの言語できちっとした考え方を身に付けて思考力を養い、そして、もう少し年をとってから、それをベースにして他の言語を修得していくということが大事であると思います。要は話の内容であって、まずは内容のあることを話せるようでなければなりません。英語圏で生活をすればほとんどの人が英語を話せるようになります。語学を出来るに越したことは無いですが、あくまで一つのツールであって、問題はどの言語であろうともきちっと物事を思考できるということが一番大事なことだと思います。

先週木曜日に私はハンガリー大使館に食事に招待され、長時間に亘って大使と話をしていましたが、大使は母国語のハンガリー語(マジャール語)以外に、英語、ベトナム語、そして、ロシア語の4ヶ国語を話すことが出来ます。前任のハンガリー大使もハンガリー語、日本語、英語が話せました。欧州の人は皆、2、3カ国語を話せて当たり前ですが、ハンガリーではドイツ語やイタリア語やフランス語などは現地の大学で5年間かけて学習すれば、マスター出来るようになっているそうです。「マスター出来る」とは、「読み書き話し聞き」が全て出来るということを意味します。ベトナム語や日本語などは6年間かかってしまうそうですが、前大使は日本語で素晴らしいスピーチをしていましたし、現大使はベトナムでベトナム語でスピーチをして、現地の人から驚かれたというぐらいのレベルであるそうです。

マジャール語(ハンガリー語)は非常に難しい言語だと言われていますが、体系的にもモンゴルが侵攻したことでマジャール人には東洋人のDNAが入っていると言われています。このようにラテン語が全く母国語のオリジンになっていないにも関わらず、ドイツ語やフランス語をマスターするのに5年で十分という感じです。ましてラテン語をオリジンにする英国人はドイツ語やフランス語を非常に勉強しやすいので、教養ある人はほとんど皆話すことができます。そして、その修得年限も非常に短く済んでしまいます。しかしながら、例えば日本の大学の英文科を卒業したという日本人がいますが、4年間かけてエネルギーも相当使っているにも関わらず、碌々話せる人はほとんどいません。それはフランス語でもドイツ語でもロシア語でもほとんど同じことです。要するに日本においては、語学教育の仕方そのものに大きな問題があると考えられます。

例えば受験英語で言えば、あのような英文法をどれだけ暗記したところで、何の役にも立たないとは言いませんが、どれほどの意義があるのかと思ってしまいます。赤ん坊がどのようにして言葉をマスターしていくかと言えば、「まんままんま」などと言いながら、父母の言葉が自然に耳から入り、そして、それがある程度の期間をかけて蓄積され、ある日突然何かを話し出します。このことを考えますと、言語をマスターするには、やはり耳から言葉が入るということ、またそれだけではなく併せて話すことも直ぐにスタートすべきであると思います。私が中学校で英語の勉強を始めた時には、リスニングもスピーキングもありませんでした。最近はリスニングが取り入れられていますが、それは中途半端な形でしか行われていませんので、学生の英語力はほとんど同じ調子のままです。私がケンブリッジ大学に留学している時に日本の某大学の英語の教授がいましたが、現代社会では死語で使えないような単語を知っている一方で、普通に会話することが出来ませんでした。このようなこともありますので、やはり日本の言語教育は根本から変えなければいけないと思っています。

何れにしましても冒頭で申し上げた通り、話す内容や考えている内容が一番大事であって、ある言語を上手に話せるだけで良いということではないと思っています。

参考
※1:http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20090514AT2F1203914052009.html




 

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