北尾吉孝日記

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最近全国的に鬱病が蔓延しているということを聞きます。鬱病はもちろん伝染病ではありませんがれっきとした病気、心の病です。この病にどう対処すべきかと言えば、まずは未病の内にこれを処理することが最も大事であると思います。では心の病を未然に防いだり、あるいはそれから解放されたりするためには、どうすれば良いのでしょうか。

この心の病の原因の一つとして「忙し過ぎる」ことがあると言われています。「忙」という字は「心」を表す「忄」偏に「亡」と書きます。つまり心が亡ぶということです。「忙殺される」という言葉もありますが、「殺」という字は程度を示す言葉ですので「非常に忙しい」という意味になります。忙しいことで心が亡ぶことは無くとも、人夫々違った形で色々なものを失うことはあるでしょう。従って、「忙中閑有り」という言葉がありますが、どんなに忙しい中でも「閑」を自分で見出さなければならないと思います。そして、その中でふっと落ち着いた我を取り戻したり、あるいは静かな気持ちになり瞑想に耽るということが大切であると思っています。
「閑」という字は「ヒマ」とも読みますが、門構に「木」と書かれています。門を入ると庭に木立が沢山植わっていて、その木立の中を通り過ぎると落ち着いて静かで気持ちが良い。だからこの「閑」という字の中には「静か」という意味もありますし、都会の喧噪や騒がしい音を防いで静かにするということから「防ぐ」という意味もあります。漢字とは実に面白く出来ていますね。

私の尊敬する安岡正篤先生も「六中観」(りくちゅうかん)という言葉を座右の銘にされていました。その内の一つが先ほど述べた「忙中閑有り」で、その他は「死中活有り」、「苦中楽有り」、「壺中天有り」、「意中人有り」、「腹中書有り」ということです。この中の「壺中天有り」とは少し難しいですが、その故事を簡単に述べたいと思います-昔費長房という役人がいました。この人が役所の二階から下の市を見ていたところ、遅くなって皆が店を畳んでいるにも拘らず、一人の老人はいつまで経っても畳まずに残っていました。「なぜだろう」と思って見ていると、その老人は壺を取り出してその中に入って行きました。その老人は仙人であったということです。翌日も同じような光景があり、この役人は「自分もその壺の中に連れて行ってもらおう」と考えてその老人と談判し、一緒に連れて行ってもらえることになりました。そして、その壺の中は素晴しい別天地でありました。
要は少し違った世界を自分で持つこと、つまり趣味を持つことでも良いし、あるいはスポーツをすることでも良いですが、そのようなことで気持ちを切り替えて気分転換するような努力をして、心の病を防いで行くことが大切であります。

それから東洋の考え方には「心身不二」(しんしんふに)、「心身一如」(しんしんいちにょ)という考え方がありますが、それは即ち心と体を一体として見る考え方のことです。心の病に対して、西洋医学であれば「この睡眠導入剤飲んで睡眠時間を増やしなさい」というような対処療法に尽きますが、東洋医学の世界では心と体を一緒に治すという考え方をします。だから貝原益軒の『養生訓』を見ても、例えば「心を平らかに、まめに手足を働かすべし」「心は楽しむべし、苦しむべからず。身は労すべし、やすめ過すべからず」と教えているように、『養生訓』の神髄はまさにこの心身不二、心身一如という考え方にあるということです。

最後に心の病に関してもう一つ言いますと、「何のために中国古典他人間学を勉強するのか」について考えておくべきであると思います。この問いに孟子の性善説に対して性悪説を唱えた荀子が三つの学問をする根本義を述べています。一つは「学は通のために非ざるなり」ということで、「通」は「出世」を、「学」は広い意味で「人間学」を指していて、人間学は出世のために勉強するのではないと言っています。では何のためかと言えば「窮して困しまず、憂えて意衰えざるが為なり」ということで、困窮して苦しまないため、あるいは憂えて心が衰えないようにするために学問を修めると荀子は言っています。つまりこれを修めていない人は多少の苦労ですぐに苦しみ、あるいは様々なことを心配して神経衰弱になってしまうわけです。そして最後に荀子は「禍福終始を知って惑わざるが為なり」と言っています。人生には幸もあれば不幸もあり、幸かと思えばそれが災いに転ずることもあり、まさに「禍福は糾える縄の如し」です。では何の法則性も無くそのようなことが起こるのかと言えば、これを突き詰めるとまさに複雑微妙な因果の法則である「数の法則」に従っていることが分かります。原因があるから結果があるわけで、そのような人生の法則を十分に知れば何も惑うことはありません。このように荀子は三つの学問をする根本義を述べていますが、このような学問をしっかりと修めることで、未病の内に心の病を防ぐことが出来るようになると私は考えています。

私も毎日色々な判断業務に追われ多忙を極めていますが、その中でいつも閑を探そうとしています。そして、社員の将来は私の双肩にかかっていますので、それだけに判断間違いを如何に最小に抑えて行くか、日々考え続けています。そのような中で「北尾さんは物凄いストレスがあるのでしょうね」と言ってくれる人もいますが、私にはストレスなど全くありません。なぜかと言えば、先ほど述べたように私はずっと人間学を勉強し続けているからです。つい二ヶ月程前からは、安岡正篤先生が直接執筆されたと思われるものを33冊、安岡先生御自身の講演を纏められたものに先生本人が推敲されたものを22冊、その殆どを目が痛くなる程読みました。そうしますと、一人の碩学の思想哲学が頭の中に整理されて入ってきます。
私に言わせれば、「上司とケンカした」とか「上司の評価が低い」というようなことは些細なことでどうでも良いことです。より大事なことは自分自身で、世の毀誉褒貶は一切気にすることはありません。自分自身が「天を仰いで恥じず、地に伏して恥じず」という恥じなき人生を送ればそれで良いのです。




 

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