北尾吉孝日記

『直観力と古典』

2010年3月1日 17:29
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今日は私が最近どのようなことに関心を持って研究をしているのかということから、話を始めたいと思います。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私の長年の研究テーマは「人間とは何か」「人間如何に生くべきか」ということで長年に亘り中国古典を中心に様々な書物を渉猟してきたわけですが、この2、3年は興味の対象がより広がってきています。つまり一つの領域を研究して行きますと、そこから派生して他の事も研究せざるを得ないという必然的帰結のようなものになって行くということです。従って、歴史も当然研究しなければなりません。例えば一つの事件について「何年にそれが起こった」ということだけを覚えても何にも役には立ちません。その時にどのような時代背景があり、その中で一人の指導者がどのようなディシジョンメイキングを何故にしたのか、というように歴史というものを見ていかなければなりません。あるいは心理学、大脳生理学、脳神経学というような上述の私の研究テーマとは全く関係が無いような学問が、実は非常に関係があるというように私は最近思ってきています。

先日『月刊BOSS』の取材で、1999年までサイバーキャッシュ株式会社(現SBIベリトランス株式会社)で働いていた佐藤輝英君(株式会社ネットプライス ドットコム代表取締役社長 兼グループCEO)と対談する機会がありましたが、その時彼が私に話したことを紹介します。彼曰く、彼が1999年に退職する時に「君には才はあるけれども、徳は十分ではない。徳を磨きなさい。そして、直観力を養いなさい」というような話を私がしたということを彼は覚えていて(正直私は忘れてしまっているのですが…)、対談時に「当時は直観力を養うということが何のことか良く分かりませんでしたが、最近漸く分かってきました」というような話を彼はしていました。

例えばこの直観力ということについては、致知出版社より昨年12月に発売された『安岡正篤ノート』にも直観力を養うということが必要であると書きましたが、そうしましたら先日特に安岡正篤先生のことについて執筆された書物で有名な神渡良平先生から、「北尾さん、中国古典は直観力を磨く上でどう役に立つのですか」という御質問がありました。つまり「直観力と中国古典には一体どのような関係があるのか」「中国古典を勉強すれば直観力が身に付くのか」ということですが、この御質問に対して私は「まず直観力とは何かと言いますと、色々な定義があるのかもしれませんが、私がこれまで勉強してきた中では“五感(「目・耳・舌・鼻・皮膚を通して生じる五つの感覚」)を通すことなく、思考を働かすことなく、心で直接認識すること”と定義しています。直観力を磨く手段は中国古典に限ったことではないと思います。凡そ二千数百年という長い人類の歴史の篩に掛かった書物というものは、人格を陶冶し続けた先哲達の直観的知恵、あるいは徳慧とも言えるかもしれないものの結晶です。この結晶が述作されて書として現れているもの、それが古典であります。従って、それを学ぶことによって、我々はその直観的な知恵を学ぶことが出来ると思います」というように答えました。

先程「直観力を磨く手段は中国古典に限ったことではない」と述べましたが、例えばお釈迦様が直観力についてどう述べているのかと言えば、弟子から「どうやってあなたは悟りをひらきましたか」と聞かれたお釈迦様は「自分は六波羅密を実践した」と答えています。この悟りとは正に直観力のことです。では六波羅蜜とは何かと言えば、それは布施(ふせ:人に施すということ)、持戒(じかい:規律を守るということ)、忍辱(にんにく:耐え忍ぶこと)、禅定(ぜんじょう:空の世界に入るということ。今風に言えば、左脳だけではなく右脳も全開させ、脳を最大限活性化させることとも言える)、精進(しょうじん:何事も誠実に一生懸命努力するということ)、そして、そのようなものを実践した結果として得られる般若(はんにや)、即ち智慧(ちえ)を身につけることです。つまりお釈迦様は「このような6つの行をすれば、あなたも悟ることが出来ます(直観を得ることが出来ます)」と答えているわけです。

あるいはキリスト教の世界を見てみますと、『マタイによる福音書』の中に、心の清い者について「その人は神を見る」というように書いてあります。つまり「心を清くすると直観の世界に入り、神に通ずる」ということで、キリスト教に限らずどの宗教の世界を見てもやはり心を清くすることが一番大事であると書かれています。例えば儒学で言えば、『大学』に「明徳を明らかにする」、即ち「自分の心に生まれ持っている良心を明らかにする」とありますが、そうしなければ、私利私欲の中で自分の心はいつも汚れるということです。従って、この汚れた垢を取り除き、心を清くすれば直観の世界に入ることが出来るということで、これについては私が所謂古典的な書物を通して得たものです。

一方、現代心理学の世界で「直観とは何か」を見てみますと、直観とは「超意識にある情報を顕在意識に持ってきて認知すること」というようになっています。現代心理学において「意識」というものは大きく言って「顕在意識」「潜在意識」「超意識」の3つあります。顕在意識には「五感を通して得た情報やそれらをベースに思考をして得たこと」が入るわけですが、この顕在意識は長期に亘って沢山の情報を蓄積することは出来ません。ではその情報はどうなるのかと言えば、それはサブコンシャスネスつまり潜在意識の世界に入ります。だから記憶を甦らせるということは、この潜在意識の世界の情報を顕在意識の中に持ってくるということになるわけです。そして、その潜在意識を更に超える深層の部分に超意識の世界がありますが、超意識は過去、現在、未来のあらゆる情報が入り、あらゆる人が共有化出来るというものです。「そのような世界に自分が入り込めるはずがない」と皆さんは思うかもしれませんが、誰しもがこの世界に入り込むことが可能なのです。

この超意識の世界の情報を取り出そうとしますと、潜在意識の中にある色々な障害物、例えば過去の恐怖や嫌な思い出のようなものが、それを妨げます。従って、心理学の世界では催眠療法により「何がトラウマになっているのか」を明らかにすることで、様々な精神的な病気を治そうというように試みています。また超意識は未来、あるいは過去にも行けるという世界ですので、現世を越えて「未来世とは一体何なのか」「過去世とは一体何なのか」を突き止めようと努力している人もいます。超意識の世界に関する書物は沢山ありますが、その書物にどの程度信憑性があるのか分かりません。しかし、大方の心理学の学者が現在この超意識の存在を否定はしていないという事実はあります。

先ほど述べた通り、色々な障害物が潜在意識の中にあるわけですが、この障害物を上手く潜り抜けて顕在意識下に情報を持ってくるというようなチャネルが出来れば、我々は直観力を働かせることが出来るということになります。そうなりますと障害になっているものをどのように取り除いて行くのかということがキーになりますが、これについてもやはり中国古典を勉強することで過去の恐怖や嫌な思い出のようなものを消し去ることが出来るようになっていきます。従って、現代心理学においても人間学に通ずる古典の勉強の必要性が様々な形で実証されていっているということです。




 

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