北尾吉孝日記

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先月末、文部科学省は来春から小学校で使う教科書の2009年度検定結果を発表しましたが、それによると「小学六年間で学ぶ分量は現在より24.5%増えて約六千ページ」になるということです。

「教科書のページ数が急増」したということなのでしょうが、そもそも現在使用されているような教科書に1年も掛けるということ自体が、私に言わせれば信じられないぐらい遅いのです。子供というものは、実は一番吸収力を持っているわけで、例えば論語の素読をさせてみても数回程読ませれば覚えてしまいます。逆に歳を取れば取る程、何回読んでも覚えらなくなりますので、そのような意味で最も吸収力があり柔軟性に富む脳を持つ子供の時期に徹底的に教え込まなければならないと私は思います。
先月ブログで書きましたが、例えば大脳新皮質の中で知能座と言われているような脳の部位は大体3歳位までの間に全て完成してしまうわけで、私は子供の吸収力を考えますと教科書の厚さを現在の10倍にしても良いのではないかと思っています。

このようなことを述べますと、子供は子供で「遊ぶ時間が少なくなる」と言ったり、親は親で「子供の負担が多くなる」というように反論したりする人も多いかと思いますが、親までもがそのようなことを言うのはとんでもない話です。そのような親たちには「子供の可能性や吸収力というものを、もう少し信じなさい!」と言ってやりたいです。例えば昔から若くして論語の素読をし、小学生の段階で立派な漢詩を書いているような人も沢山いるわけで、それは子供の秘めたる力というものがどれ程凄いものかということの証左と言えましょう。
先日ツイッターで呟いた通り、『論語』の中にも「汝は画(かぎ)れり。」とあるように、自分の能力を自分で限るということもありますが、無限の可能性を持つ子供の未来を「負担が多過ぎる」というような理由で、親や先生が遮ってはいけません。

「ゆとり教育」などというものは子供にとって害なだけで、小学生においては詰め込めるだけ詰め込むというような教育の形にすべきではないかと私は思っています。そして、以前このブログでも書きましたが、ある年齢に達したら英国社数理の5教科全てを平均的に教えるということではなく、個々人の才能や興味に合わせて、その部分に特化した教育を徹底的に行い、一芸に秀でる人物を養成して行くという教育体制にこの国のステージは移るべきだと思います。
また子供は大いに遊べば良いと思いますが、家の中でゲームばかりをするということではいけません。健康体力作りのためにも外に出て遊べば良いのです。それを小学校から子供を塾に行かせるというような親が沢山いますが、小学校の勉強が出来たかどうかは、子供の人生において大した問題ではありません。私は小学校の秀才が大学時代も秀才であったという例は少ないような気がします。大体伸びる人間というのは中学を超えた位から段々伸びてきますので、小学生の段階で親がガタガタする必要はないと思います。




 

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