北尾吉孝日記

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先日まで「柳田法相発言問題」がメディアを賑わせていましたが、皆さんは本件をどのように捉えられたでしょうか。
基本的には論外の発言であると申し上げる以上のことはありませんが、今回はこの問題について世間とは少し違う角度から論じてみたいと思います。

柳田前法相は『「個別の事案については答えを差し控える」「法と証拠に基づいて適切にやっている」とのフレーズを挙げた上で「法相はいい。二つ覚えておけばいい。分からなかったらこれを言う」と発言した』そうですが、このような馬鹿げた言葉は中々出てこないものであると思いますし、何のためにこのようなことを言わなければならないのか私には全く理解出来ません。
本件に対する私の見解について語弊を恐れずに端的に言うならば、自分が馬鹿であるということを大勢の前で笑いながら滔々と喋るような人ほど自尊の精神に欠けた人はいないということです。
独立自尊とは正にそのようなことで、自らを尊ぶことが無い人は人間としてある意味最低であると言わざるを得ないと私は考えています。

例えば単純なやり取りに見える朝の挨拶についても、こちらが「おはようございます」と言い、相手も「おはようございます」と言い、そして相手から「おはようございます」と返ってくるというのは、相手が自分に対する敬の気持ちを持ってくれていて、自分も相手に対する敬の気持ちを持っているという世界がそこにあるわけです。
上述したような他者に対する敬と共に、ある意味における自己に対する敬、あるいは自分自身に対する尊、即ち自尊というものを全く持たない人は愚かな人としか言いようがありません。
やはり自分でそれなりの努力、勉強をし、自身の精神、技能の向上を図って行くということを継続してきた人は大勢の前で柳田前法相のようには発言しないでしょう。
そしてそのように修養を積んでいる人は相手を貶すこともありませんし、偉ぶることもありませんし、自らを愚者のように扱うことも決してありません。

今週火曜日の読売新聞社説の冒頭は『「国会軽視」と受け取られる軽率な発言の責任を取り、柳田稔法相が辞任した』というようになっていますが、この問題は国会軽視というだけではなく、実は自分自身を一番軽視しているということなのです。
そして上述した通り、自分自身を軽視するということは人間としてある意味最低であるということを意味しています。
矜持(自分自身をエリートだと積極的に思う気持ち)という言葉がありますが、この気持ちを持てない人は努力が足りないと言わざるを得ませんし、これを持っている人物は今回柳田という人がしたようには発言しないわけです。
大臣たる者、一国の指導者であるわけで、私に言わせれば、指導者が何の矜持も持たずしてその重責を担うというような資格はありませんし、今回の柳田前法相の愚行を見るにつけ法務大臣は一体何のためにいるのかというようにも感じました。




 

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