北尾吉孝日記

『人間の使命』

2011年2月25日 10:39
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今月9日の『致知出版社の「人間力メルマガ」』に「一流と超一流の違い」に関する記述がありました。

「一流と超一流の違い」と言いますが、現代においてはまずその一流自体が「人多き人の中にも人はなし」という状況になっており、そのような意味では一流の人物すら殆どいなくなってしまっています。
孔子も言うように中国古典の世界では超一流だと思われる中庸の徳を有する仁人というのは最早殆ど見られず、それ程人というのはいなくなっています(「中庸の徳為るや、其れ至れるかな。民鮮(すくな)きこと久(ひさ)し」『論語』)。

上記メルマガでは、一流は「人との競争」の世界、超一流は「己に克つ世界」とされています。私に言わせればそもそも相対比較をしている人を一流とは言いません。
相対比較の世界、即ち自分と人とを比べる世界に生きている人というのは、結局自分自身が苦しむことになります。
「この人の方が私より給料が上だ」「この人は私より綺麗な奥さんを貰っている」「この人は私より大きな家に住んでいる」というように様々な事柄において自分と人を比べながら、それに対して嫉妬をしたりする中で結局自分自身の苦悩に繋がって行くというわけです。
今月18日に『森信三に学ぶ人間力』を上梓しましたが、あらゆる人間の苦悩は相対比較から生ずるというように森先生も仰っています。

相対比較をしてみても詰まる所は「賢愚一如」、即ち賢い人も愚かな人も同じようなものです。
「何で一緒なんだ!?」と驚かれる方もいるかもしれませんが、この我々人間を創りたもうた絶対なる神、絶対神から見れば人間の知恵などというものは所詮微々たるものであるということです。
それにも拘らず「片一方は賢く、片一方は愚か」というようにしてみたところで一体どれ程の差があると言えるのでしょうか。
また仏教においては『歎異抄』の言葉に「善人なほもって往生をとぐ、いはんや悪人をや」という有名な一節があります。善人でも往生とげるのですから、まして悪人は往生出来ないはずがないとあるように、「善悪一如」なのです。
つまり善悪を言う場合、確かに悪い事というのはあるにはありますが、絶対神から見れば狭い人間の世界におけるそのような善悪の差というものはある意味大したものではないということです。
例えば人殺しは悪であると考えるのが大多数であると思われますが、では戦争というものはどう捉えられるべきでしょうか。
つまり国と国とが戦争をし、多くの人が血を流し、そしてその中で全くの民間人が犠牲になるというような正に組織悪とも言われる大量殺戮をもって善なのか悪なのかという問いに対しどう答えるのかということです。
一例としてイラク問題について考えるべく、昨年11月に『国家我・組織我について・・・北方領土問題、尖閣諸島問題、イラク戦争』と題したブログで述べたことを下記引用してご紹介します。

【イラクは一貫して大量破壊兵器の保有を否定し続けていましたが、米国はそれを保有しているに違いないと一方的に決めつけて音頭を取り、英国や日本等の国々がそれに乗っかる形でイラクという国に攻撃を仕掛けることになりました。
大量破壊兵器を間違いなく保有しているという証拠を前提としての戦争であれば未だしも、結局イラクはそれを保有していなかったわけで、その結果どれだけ多くの人の血が流れ、今日でも流れ続けているかということを考えるべきです。
個人の場合であれば人ひとりを殺害すれば殺人罪が適用されますが、国家においては誤った大義名分の下で行った戦争により人が殺されても誰も罰せられませんし、御負けに大量殺戮により勲章まで貰えるというように如何にも可笑しなことになっているわけです。
つまり根本的な原因として、正にこの部分に国家我、言わば国のエゴというものがあるということです。】

上記惨劇は米国ブッシュ政権により起こされたものですが、それにより一体誰が幸せになったのか、何が良くなったのかということについて冷静に考えてみる必要がありましょう。
結果的に大量破壊兵器は見つからず却って治安が悪くなったわけで、「イラク戦争」について言えば善とされる米国がより巨悪であると私は思っています。
ブッシュ前大統領の責任はどうとられるべきかという観点から今一度考え直してみるべき問題であり、善悪などと断定してみたところで絶対神から見れば実に善悪一如、賢愚一如ということなのです。

つまり私が何を言いたいのかと言えば、人と比べ相対観で物事を判断するということ自体がナンセンスであり、人と比べる必要は一切ないということです。
自分自身を信じ、そして「君子に三畏あり」(『論語』)というように天命、大人、そして聖人の言に畏れを抱きながら自分を律し確固たる自己を作って行く以外に方法はないわけです。
そのように主体性を持った自己を確立して行く過程において、例えば人より成績がどれだけ優れていたか、劣っていたかというようなものを比べることに一体何の意味があるのでしょうか。
自分の行為が本当に「天を仰いで恥じず、地に伏して恥じず」なのかということを考え、常に天との対峙においてどうであるのかという中で物事を為して行かねばならないということです。
そこまで出来るようになるのが非常に大変なことは言うまでもなく、要するに人間というのはそう簡単に一流にはなれませんし、況して超一流などにはなれるはずもありません。
一流、超一流になろうとする努力こそが最も大事であり、そのような努力をし続けるということが人間として生まれた者のある意味での使命であるということなのです。
私自身、人間の使命としてそのように努力し続け生きて行かねばならないと強く思っています。




 

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