北尾吉孝日記

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『選択』という情報誌(2011年2月号)の『「グローバル人材」争奪の時代』と題した記事には『日本の「失われた二十年」は、「グローバル人材」の育成に失敗したことにかなりの程度起因するのではないか』や『世界の国々は二十一世紀を生き抜くために「グローバル人材」をいかに育成し、獲得し、活用するかの大競争を繰り広げている』という指摘がありますが(※1)、そもそもグローバル人材とは一体どういう人物のことを言うのでしょうか。

今月21日に株式会社PHP研究所から上梓される拙著『日本人の底力』でも述べましたが、私はグローバルな人物、あるいはインターナショナルな人物というのは英語能力の有無だけで判断されるものではないと考えています。
勿論英語を話すことが求められるのは言うまでもありませんが、より大事なことはその国の持っている文化的特質について深く理解をしているということです。
即ち、日本人の持つ強み・弱み、あるいは日本の持つ強み・弱みといったことについて十分な理解がなされているということですが、その理解のためには正に日本のナショナルヒストリーを知らなければなりません。
日本の歴史を知った上で日本人や日本という国、あるいは日本文化といった日本的特質を十分に認識し、その中で日本人としてどのような主張をして行くのかが重要なのです。
そしてその主張を行う前には、やはり世界に視野を広げて相手国のことを十分に理解し得るような教養というものを身に付けなくてはなりません。
そのようなことが出来て初めて一人前というべきであって、日本のことだけを理解出来ているとか、ある専門分野において世界に通用するような知識を持っているとか、あるいは英語が流暢に話せるということだけでは、インターナショナルな人物とは到底言えないのです。

上記記事には『日本でも、英語で全授業を行う立命館アジア太平洋大学(APU)や国際教養大学(AIU)のような革新的な試みが進められている』とも書かれていますが、英語で全授業を行えば世界に通用する人材が育つのかと言うと、それは全くの見当違いです。
例えば、幼稚園の頃から英語圏で生活をさせれば2、3年程度で誰もが英語をきれいに話すことが出来るようになるわけで、グローバル人材とは単に英語を喋ることが出来るだけの人を言うのではないのです。
先ほども述べたようにグローバルな人物というのは十分な英語力や世界レベルの専門性を持つだけでなく、より基本的には自国と相手国に対する広く深い教養を身に付けていなくてはなりません。
そして更に掘り下げて言うならば、その人物が如何なる人生観・世界観といったものを持っているかのということに尽きると私は思っています。
そのようなものを十分に持たない人間はたとえ英語力に長けていたとしてもグローバルでは何も通用しないというのは私が常々述べている通りです(参考:『世界から尊敬される日本人とは何か』)。
そこが非常に重要なポイントであるということを我々日本人は確りと認識すべきでしょう。

参考
※1:The Great Brain Race 「グローバル人材」争奪の時代





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  1. グローバル人材というのは人材ビジネスが作り出した宣伝コピーだと思っています。
    海外ではグローバル人材なんて言葉はあるんでしょうか?あるとすると、有能なビジネスマンではないでしょうか?



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