北尾吉孝日記

『読書の在り方』

2011年6月13日 13:37
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先日ある人から「北尾さんはいつも大量の本を読まれていますが、その探し方や選び方について教えて頂けませんか?」と尋ねられ、私は次のように答えました。

『例えば、拙著を読んで私が何を考えているのかについて関心を持たれた人は、「この人は安岡正篤や森信三、中国の四書五経、シュバイツァー博士やガンジーなどといったものを勉強したのか。ならば、私も読んでみようかな」というようになります。
つまり、自分が感銘を受けた著者というのは、必ずその本の中で彼が読んだ別の本を紹介していますから、私はそういう本を読んでいます。』

仏教の中には「縁尋機妙」という縁に関する言葉があります。縁は縁を尋ね、その発展の仕方は非常に機妙であるということです』と以前ブログで述べましたが、やはり良縁が良縁を導くように読書の中で触れ合う本というのは正にそのような縁なのです。
そのような形によって一冊の書物から様々な世界がどんどん発展し色々な広がりを見せて行くわけで、例えば森信三全集を読めば、「次は西洋哲学の誰々を読もうかとか日本の先哲である二宮尊徳や中江藤樹を読んでみたい」というようにその世界からまた更なる広がりというものがどんどん出てくるのです。
結局のところ本も人ですから、本を読んで人に知り合い、そしてその本の中で著者により紹介されている本の著者をもう一度見て行こうというようになって行くわけです。

昨年11月に『社会貢献活動の一つの在り方~森信三全集を現代の若者達へ~』と題したブログで下記のように述べた通り、森信三という日本が誇るべき偉大な哲学者であり、教育者である素晴らしい人物の全集というのは手に入れようと思っても殆ど手に入らないものです(下記引用における「全集続編」とは『森信三全集続篇』(全8巻:昭和58年出版)を指します)。

【『森信三全集』は当初1200部程度しか出版されていませんので、現在手に入れることはほとんど出来ないので、図書館でしか読むことが出来ません。
上記全集続編も含めこのような書物は全て古本屋で買うわけですが、私はずっと前から「『森信三全集』全25巻を絶対に買いたい。もし手に入るようなことがあれば、直ぐに教えてください」と古本屋に伝えていますが、もう二十数年来連絡はありません。
要するに1200部程度しか世に出ていない書物は、中々手に入らないということです。
今手元にある全集続編は古本屋で買ったものですが、上述の通り昭和58年に出版されたものですので、これから手に入れようとしても殆ど不可能でしょう。
また森信三全集というものが再出版されるのかと言えば、やはり採算ベースには乗らないと思われますので、恐らく出版社は今後もこのような書物を世に出して行くということはないと思います。】

それ故幸運にも手に入れることが出来たものについては、私が印を付けた箇所等を秘書に全てデジタル化して貰い、そのデータを何度も読むようにしています。
何故かと言いますと、この本を何度も読んでいれば、当然のことながらそれは傷んで行くからです。
つまりは、それ位になるまで読込んで血肉化して行き、そしてその著者と肝胆相照らす間柄にならなければいけないということです。もっとも真の血肉化には実践・行動が伴わなければならないことは言うまでもないことです。
本を読むというのはそういうことを言うのです。

またある人からは「北尾さん、何故それ程までに本を読むのが速いのですか?世に言う所謂「速読術」という類のものではないと思いますが、ある時点で体得されたものなのですか?」というように尋ねられました。
やはり良書というのは良く味わいながら読まねばならぬわけで、速読などという世界ではなく味読しなければなりません。
唯、私の場合は1冊の良書を何度も読みますから、1度目よりも2度目、3度目よりも5度目の方が当然のことながら早く読むことが出来るようになるのです。
従って、例えば本を執筆する前にもう一度読み直そうとする時、一気に50冊程度を読むことが出来るわけです。
そのように何度も繰り返し読むことで蓄積して行くことが大事なのであって、例えば試験対策などとちがい一夜漬けで対処するといったことでは駄目なのです。
常日頃から古典に親しむとか、あるいは様々な書物を読むということが大事です。
そして読み終えたものの中で、特に深い感銘を受けた本や強い感動を覚えた本について味読し、そして更にはその本の中で紹介されている本や人というのをまた読んで行くわけです。
そうして行けば、やはりその世界の中のものに対する読書速度が上がります。またその人の思想・信条や精神的支柱になるような本は味読しなければなりませんし、それを何度も繰り返し読むことでその著者を完璧に消化するということが大事です。
そしてその際重要なことは主体的に読んで行くということであります。そうやって初めて、その本やその著者のことが深く分かるようになるのです。
2011年度入社式訓示』でも下記のように述べましたが、読書の際は必ず主体性を持って臨まなければなりません。

【あらゆる事柄において自分の主義・主張・立場を明確にし、「自分ならどう処するのか」というように主体的に生きて行くことも非常に大事なことです。
例えば本を読むにしても直ぐに感化されるということではなく、「その場面に直面したら自分ならどうするのか」ということを常に考え、頭を使いながら読んで行くのです。】

例えば「著者の主張は尤もだ。この本は良かった」という人に対し、「この本の何が良かったのですか?」と問うてみると、何にも答えられず殆ど頭に入っていないというのでは読んだうちに入りません。
また結構良く見かけるのは、ある本を読んで「この人の考えは道理に適っている。これは良い本だなぁ」と言う人が、全く正反対の見解を持つ人が書き著したことまで「あぁ、この本も良かった」と言っているケースです。
そうした矛盾が起こってしまっている人というのは、何を読んでも直ぐに感化され主体性を喪失してしまっているわけです。
やはりそのような読み方では駄目であって、上述したように「その場面に直面したら自分ならどうするのか」とか「私はこう考えるが、何故著者はこのように考えるのか」といった形で常に主体的に本は読まなければなりません。
そうすることで読書の価値というのは高まって行くわけです。

今月2日に『歴史・哲学の重要性』と題したブログで述べた通り、今回の東日本大震災を考える上でも、やはり歴史というものの中には様々な教訓が記されているように思います。
勿論、歴史と言っても例えば古代縄文時代というような大昔にまで遡って学ぶ必要は無く、阪神・淡路大震災、チェルノブイリ原発事故、オイルショックといった時代における過去事例を徹底調査し多くを学ぶことが重要なのです。
上述してきたような読書の在り方を見出し、それが習慣づいている人というのは、今回のような原子力放射能問題が発生したとなれば、その辺りに関する歴史を素早く調査することでしょう。
そして、そこから何を勉強するのかということであって、そこに現在進行形の危機的状況への処し方というものが色々な意味で書いてあるわけです。
ところが菅直人氏のように読書の在り方というのが全く分かっていないと思える人は「俺は原子力には通じている。東京工業大学でそうしたことは既に学んである」などと言って勉強することもないのでしょう。
その程度の人物であるからこそ重大事項が様々抜け落ちて行き、救われるべき被災者がまた人災を被るというような事態になってしまうわけで、やはり一国の指導者たる者、上述したようなこと位は習慣化されていて欲しいものです。

以上、読書の在り方に関して色々な観点から述べてきましたが、一言で言い表すならば、読書においては上記4つの言葉、「良縁」「血肉化」「味読」「主体性」が特に大事であるということです。





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  1. 私は読書が趣味で、月に15冊は読みます。
    『読書の在り方』を拝見し、大変勉強になりました。
    ありがとうございます。

    特に以下の記事内容については,今後実践してみたいと思います。

    【「著者の主張は尤もだ。この本は良かった」という人に対し、「この本の何が良かったのですか?」
    と問うてみると、何にも答えられず殆ど頭に入っていないというのでは読んだうちに入りません。
    「その場面に直面したら自分ならどうするのか」とか、「私はこう考えるが、何故著者はこのように
    考えるのか」といった形で常に主体的に本は読まなければなりません。そうすることで読書の価値
    というのは高まって行くわけです。】

    やはり人生を有意義に生きていくためには、
    読書は生きるための知恵の宝庫であり、導いてくれるツールだと考えます。
    有名な著者たちに直接会わなくても、本を読めば彼らの教えやエピソードを知ることが出来ます。
    読書は時空を超えて誰でも何時でも古今東西の偉人とアポイントが取れ、対話ができるということです。
    そして、新たな気づきや考え方が得られ、視野が広がります。
    最後に、本の中で学んだことをいかに実行に移せるかがとても大切なことだと思います。

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