北尾吉孝日記

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今月4日の「ウォール・ストリート・ジャーナル日本版」に「米国民の幸福度、史上最低に=シカゴ大世論調査」と題された記事があり、その中で下記のように述べられています。

『米シカゴ大学がこのほど行った最新の世論調査によると、毎日の生活に非常に満足している人は29%にとどまり、39年前の同調査開始以来の史上最低を記録した。(中略)
幸福度については、「非常に満足」はリセッション(景気後退)が始まる前の32%を下回った。リセッション前は、幸福度は米経済の動向にほとんど左右されなかった。今回の調査で大きく落ち込んだことは、景気下降の厳しさを反映している。』

また、『選択』という情報誌(2011年7月号)の『失われる「アメリカン・ドリーム」 貧富の格差が危険水域に』と題された記事の中には下記記載があり、『米国の「国のかたち」に芯を与えていた背骨が歪み始めている』と述べられています。

『現在、米国の上位一%の富裕層が国民の全所得の二五%、富の四〇%を占めている。二十五年前はそれぞれ一二%と三三%であった。過去十年間にトップ富裕層の所得は一八%増え、高卒労働者の所得は一二%減っている。
米国では、「海水の水位が高まれば全てのボートも浮き上がる」という思想もまた根強く存在する。豊かさは全ての国民に恩恵をもたらすということだ。
だが、それは今や幻想になった。(中略)
最近問題となっているのは、格差拡大が、米国の社会をいたるところで歪め、「富裕層でさえ嘆くほど」(スティグリッツ教授)に深刻化している点だ。』

嘗て私が米国に住んでいた頃を振り返って見ますと、上記記事でポール・クルーグマン教授が言うような「“米国の中産階級”の時代」と実感出来得る部分は数多くあったわけですが、今の米国というのも言われる程には未だ殺伐とはしていないでしょう。
唯、都会と田舎とでは、その経済格差に格段の違いがあると思われ、特に都会の現況は相当厳しいものがあるというように見ておりますが、やはり余りにも貧富の差が拡大してくると上述したように至る所で社会が歪められるということになるわけです。
こうした現象というのは、一言で言えば、所謂パックス・アメリカーナの終焉と私が本ブログで指摘し続けていることの一つの現れであると見ていますし、そしてまた、ニクソンによる1971年の金ドル兌換停止以後の世界、つまり金の裏付け無しに輪転機を回せば幾らでもドルが刷れ、最も安価な調達資金で世界中から金を集めて行くというような世界が今正に崩れて行こうとしているというように私は認識しています。
グローバルな政治・軍事局面においてもイラクに次いでアフガニスタンからの米軍撤退がなされて行くわけですが、結局あの戦争というのは一体何であったのかということです。
イラクについてはサダム・フセインを権力の座から引き摺り下ろすことには成功したと言えますが、未だ以て治安の維持すら十分には行われていないという状況です。
アフガニスタンについても同じ様なもので、10年経った今もタリバンとの戦闘が続いており、ビン・ラディンの首を上げたと言って誤魔化していますが、何れ米国は出て行かざるを得ないような状況に追い込まれて行くことになるでしょう。
また、今回の中東民主化革命においても、米国は長期に亘り非常に緊密な関係を築き上げてきた『アラブ最大の「同盟国」』エジプトのムバラク前大統領を「見殺し」にし(※1)、その他のアラブ諸国との関係性も次々に崩壊させて行ったことで、今や米国に対するアラブ諸国の信頼は大きく失墜してしまっています。
そして、経済局面についてもリーマンショックからの復調かと一時的には思われましたが、昨今の様々な経済指標を見てみますと月毎で改善・悪化を繰り返すというような調子で方向感が定まってはおらず、未だ一喜一憂して情勢推移を見守るというような状況です。
更には、米国という国が政治・経済・軍事といったもので全面的に力を失いつつあり、その結果として国際通貨市場におけるドルの信認はどんどん低下してきているというわけです。
このような背景もあって、米国社会の中で上述したような現象が着実に進行しているのです。

21世紀とはアジアの時代であり、片方でパックス・アメリカーナの終焉であるというのは私がずっと言い続けていることですが、今後もそうしたことに基づく現象が様々な形で次々と現出してくることでしょう。
そうは言っても、日本は勿論のこと、ベトナムという国ですら未だ米国に頼らざるを得ない現実もあるわけで、中国との摩擦が続く南シナ海問題にしても米国の積極的関与を引き出す程度の動きはしなければならないというわけです。
しかしながら、先程も述べたように米国の国力というのは相対比較においてあらゆる面で低下しているのは紛れもない事実であり、日米関係一つを見てもそれは明らかなことなのです。
例えば、下記のように日本の貿易総額に占める各国(地域)シェアを見てみますと(※2)、貿易相手先に占める米国・EUの割合低下及びアジア比率の大幅拡大という状況になっているわけです。

・1990年:中国(香港、マカオも含む)―6.4%、その他アジア―23.6%、米国―27.4%、EU―17.0%、その他―25.6%
・2011年(1~3月):中国(同上)―23.4%、その他アジア―27.1%、米国―11.8%、EU―10.5%、その他―27.2%

このような形で貿易構造も変貌を遂げているわけですから、そうしたことを踏まえて日米関係も様々な側面において変わらざるを得なくなっていますし、やはり21世紀というのは対中国、対アジアというものを常に意識し、主にして考えて行かねばならない時代であると認識すべきでしょう。
この21世紀について、多くの知識人は東洋と西洋のある意味での文明の衝突が起こる時代というように位置付けられるとしています。
そうした東西対立の世紀における日本の役割が何かについては、今年2月に株式会社致知出版社から上梓した拙著『森信三に学ぶ人間力』のまえがきにて、西洋の巨人ピーター・F・ドラッカーの言葉を借りて下記のように述べました。

【ドラッカーは、その著『ドラッカーの遺言』(講談社)のなかで新しい秩序へと向かう混迷した世界のなかで、「史上稀に見る西洋化に成功した日本」は、その「舵取りを果たしていく責任を背負っている」としています。さらに次のようにも言っています。
「アジアとアメリカを結ぶ橋になる――この難しい課題も、日本ならばうまくやり遂げることができるのではないか、私の中には楽観とも言える思いがあります」
「日本が獲得してきた国際社会でのポジションを上手に活用していくことが成否を分ける要因となるでしょう。西洋中心主義から、西洋と東洋のバランスを上手に取る方向へと、うまくシフトしてほしいと願うばかりです」】

上記『森信三に学ぶ人間力』及び近著『日本人の底力』(PHP研究所)で述べているのは正に上述したようなことであり、そういった対立を激化させないよう、日本はアジアと米国、東洋と西洋の懸橋となって、その期待された役割を確りと果たして行くべきです。
これから米国という国の没落が決定的なものとなればなる程、片方で米国は対立姿勢を色々な面で強めてくる可能性もあるわけで、正に上述したようなことを考えねばならないシチュエーションになってくると思われます。
と言いますのも、覇権国米国が凋落して行くということだけではなく、その覇権が東洋に奪われて行くということになるからです。
西洋人というのは20世紀における世界というものをある意味殆ど支配してきたわけですから、それを喪失して行くことについて、英国の覇権が米国に奪われて行った第二次世界大戦時以上に対立的な感覚、あるいは挑戦的な感覚を持つのは自然なことではないかというように私は認識しています。
従って、そのような対立状況において日本が如何に緩衝材となり得るのかが一つの大きな使命であるわけですが、昨今のように「菅の菅による菅のための政治」を続けている限りは、そうした重責など到底果たし得ないのだろうと思っています。

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参考:
※1:『選択』-《特別リポート》中東で孤立する米国 いよいよ歪む世界秩序
※2:SBIホールディングス株式会社 経営近況報告会(2011年6月29日)




 

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