北尾吉孝日記

この記事をシェアする

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の第三部が先々週から始まり、「第10回:旅順総攻撃」「第11回:二〇三高地」の2回に亘って日露戦争の場面が映し出されたわけですが、いよいよ残りの2回「第12回:敵艦見ゆ」「最終回:日本海海戦」でバルチック艦隊との決戦になって行きます。
昨年1月にも『歴史的変革期にある日本』というブログで当時のNHKの番組編成を賞賛しましたが、2009年11月より第1部、第2部、第3部と「坂の上の雲」のテレビドラマを見てきて、まずは今というタイミングにおいてこのようなドラマを放送してくれたNHKに敬意を表したいと思います。
何故私がNHKに対し敬意を表するのかと言えば、今というのも「坂の上の雲」の時代と同じように日本にとってある意味非常に大事な分水嶺に差し掛かっていて日本が今後も世界有数の国家として君臨出来るかどうかが正に懸かっていると認識しており、日本国民、取り分け若者に奮起を促すという意味において大きな力となり得るのではないかというふうに感じたからであります。
「坂の上の雲」というのは日本が明治維新を成し遂げ、世界の列強に追いつき追い越せというタイミングで正に歴史的な転換期であったわけですが、この時代というのは国として大変分かり易い目的の下に日本人がある意味一つに纏っていた時代、つまり西洋列強の植民地化に抗すべく富国強兵・殖産興業を一丸となって推進するという時代であり、綺羅星の如く老若を問わず人物がいたのです。
例えば、乃木希典氏とロシアのステッセル将軍との会見場面、あるいは東郷平八郎氏とロシアのロジェストウィンスキー提督との対談場面から窺い知ることが出来るのは、決して勝っても威張り散らして驕り高ぶるというのではなく礼をもって敗軍の将と話をし、そしてそこには威厳が満ち満ちているというものであり、正に武士道の精神を持った気骨ある日本人の姿が見られるわけです。
更に言えば大山巌という男のように大変な状況でありながら、凱風を装い何事にも驚かず一種のパニック状態の中で大将としての器を示せる人物もいたわけです。
小生この場面で論語にある『君子もとより窮す。小人窮すればここに濫(みだ)る』という言葉を思い出しました。
また、秋山真之氏にしろ秋山好古氏にしろ大勢の若き俊英達が日本の国を守る為に考え抜いている姿、そしてまた他方では突撃という上官の命令により弾丸数多降る中に飛び込んで行き戦死した数万人にも上る人々の姿といったものを見る時、日本人の持つ精神性の高さに思いを致し、感涙にむせぶ事なしには見ることが出来ないドラマであります。
中国古典の『文章軌範』という本の中に「一国は一人を以て興り、一人を以て亡ぶ」という言葉もありますが、人材、人物というのはそれ位大きな力を持ち得るものであり、その国の全てを決めて行くという側面もあるわけで、今日本に希求されているのは正に上記時代にいたような人物であるというように私は確信しています。
では、どのような教育によりこうした人物が生まれてきたのかと考えてみるに、やはり江戸時代から脈々と続いた徳育教育というものの中で涵養されてきたのだろうと思われますが、今年1月のブログ『21世紀に対する洞察2』でも下記指摘した通り、残念ながら徳育教育というのは戦後日本の教育界から葬り去られてしまいました。

<あの受験勉強だけを主体にして人間教育を全く行わない教育、即ち戦後マッカーサーに押し付けられた教育を今後も継続して行くことが本当に良いのかについても再考しなくてはならないでしょう。
私は一昨年のこの時期に『君子を目指せ小人になるな』というタイトルのブログを書きましたが、その中で上述の問題について下記の通り指摘しています。

【(中略)戦後の教育には、道徳的見識を育てる人間学という学問が欠落していました。今日の若者に、日本の高等教育で戦後軽視されてきた古典的教養を身に付けさせることは、人間と人世の実践的原理・原則を学ぶ上で不可欠であると思います。従って、我々は国を挙げて道徳教育を主眼とした人物の養成に取り組まねばなりませんし、また戦後教育にどっぷり漬かった若者達は人間学の学習と知行合一的な修養により自己人物を練らねばなりません。そして精神・道徳・人間の内的革命を遂行し、『君子』への道に確かな一歩を踏み出していかねばなりません。】

また上記『安岡正篤ノート』(致知出版社)第5章においても、日本の戦前戦後の教育というものについて次のように述べています。

【日本はどのようにして戦後の廃墟から立ち上がり、世界第二位の経済大国になれたのでしょうか。それは戦前の教育を受けてきた人たち、あるいは戦争中は子供であったけれど親から教育を受けてきた人たちが、日本に独特の武士道に根差した伝統的精神を受け継ぎながら勤勉に努力した結果として得られたものです。まさに精神の力によって成し遂げた成果なのです。
さらに遡って、日本がなぜ明治維新から第二次世界大戦に至るまで、世界が驚くような発展を遂げて列強に並ぶような状況を実現したかといえば、そこにも精神の力があったからだと私は考えています。
ところが第二次大戦後、進駐軍司令官として日本にやってきたダグラス・マッカーサーは、その日本人の精神の力、武士道に根差した精神の力を根本的に破壊しようと計画しました。そして、その計画は戦後の教育を通して着実に実行されてきました。それが今日の日本人の精神的・道徳的退廃を招いたといっても間違いではないでしょう。】

(中略)道徳など必要ない。人間学など勉強しなくて良い。知識の学問だけ勉強すればそれで良い・・・このような風潮を戦後一貫して作り上げてきたのが日教組であり、その方針に同調した国の教育政策です。
その結果として現在の日本があるわけで、これは大罪と言って良いでしょう。
国家のエネルギーや国家の活力というものは、突き詰めればその国の有する人間力に尽きるわけです。
取り分け国家のリーダーとなる層にどれだけの人物がいるかにかかっていると言ってよく、エリート層に人材が輩出された時は国が最も強くなり、大いに発展する時期となります。
日本の歴史に残る偉人達を調べて行くと、悉く人間学を学んでいるといっても過言ではありません。
例えば上記明治維新一つ見てみても、その原動力は人間学を学び人物を磨き続けた一握りの個人の力によるものであり、やはり人間の背骨をつくるものは人間学しかないというように私は確信しています。>

唯、上述したように戦後日本の教育に大問題が内包されているとしても多くの現代人には昔の日本人の良きDNAが流れているはずですから、「坂の上の雲」という優れたテレビ番組を見る中で微かに残るDNAに働き掛け今一度自身を覚醒させる一助にすることを切に望む次第です。
そして何事につけ努力をし続けるべきであり、日々の仕事、あるいは社会生活において常に「事上磨錬」し「知行合一」を実践して行く中で、ある意味凡人であるけれども事が起こった時には非凡なる人物になり得るよう、特に若い人達には修養を積んで嘗て存在した偉人のようになって貰いたいというふうに強く願っています。

●参考1:『君子を目指せ小人になるな』より抜粋「私淑する人を持ち、事上磨錬する」
【この知識・見識・胆識に関連して、よく決断力・実行力というのはどうしたらつけられるのか、という質問を受けます。しかし、それは事上磨錬するしかないと思います。すなわち日々の仕事、体験のなかで学ぶことです。それを自分で心がけて一所懸命努力することです。
その努力を支えるために、書物を深く読み、私淑する人を発見することが重要だと私は考えています。私淑する人がいるといないでは、知識も見識も胆識もまったく変わってきます。
たとえば、私が私淑する安岡正篤先生の本を読むと、東洋哲学は言うにおよばず、西洋哲学から医学、科学の話まで出てきます。あるいは、そのときどきの政治や世界の動向の話が出てきます。安岡先生は、人生観、世界観から死生観まで、あらゆる面で卓越した知識を持ち、それをベースとした見識によって自らの善悪の判断基準をつくり上げておられます。そして勇気を持って、正しいと判断されたことを実践され、多くの人を導いてこられたのです。
こういう方の本を深く読み、私淑していくことが非常に大事です。それが自分自身の成長につながっていきます。
片方でそういった精神の糧になる読書をしながら、片方で事上磨錬によって学んだことを実践していく。学んだことと対峙して、自分はどうかと常に反省しながら自分を修正していくのです。そうした努力を積み重ねていった結果として、私利私欲がだんだん減り、ゼロにはならないとしても、かなり抑えられるようになります。そうなってくると、次第に世のため人のためという発想が芽生えてきて、勇気を持って実行しようという行動につながっていくのです。私自身も、そういう形で自分を改造してきました。
ただ、私の場合、苦労を知らないというのが一つの弱点でした。健康にも恵まれ、学業も順調にいき、親の豊かな愛情のなかで過ごしました。学生時代もアルバイトをしたことがありませんでした。これが逆にコンプレックスになりました。だから余計に「口にしたことは必ずやり遂げなければならない」と、自分を強く律する気持ちを持ちました。
孫正義さんは私とはまったく逆で、在日朝鮮人として生まれ、貧しさのなかで育ちました。そこからいつか抜け出そうと、いつも強く思っていたそうです。やがてお父さんが事業で成功され、そこからあとは貧しさとは縁が切れたかもしれませんが、それでもなお差別という問題が残っていました。
孫さんが事業を始めて、さる大銀行にお金を借りに行ったときの話です。その銀行の支店長から「在日朝鮮人なんかに金を貸せるか」と言われたことがありました。「もうあんな銀行とは絶対に付き合わない」と憤る孫さんに、私は「世界で一番になりたいと言っている人がそんな小さな考えでは駄目だ。そんなことなら、最初から世界一なんて夢は捨てたほうがいい」と諌言したことを覚えています。結局、私が間に入って、その銀行と取引を始めることになったのですが、そういう在日朝鮮人に対する差別が彼のバネになったことは間違いありません。
私にはそういうバネとなるものがありません。逆に言うと、恵まれた環境に育ったおかげで私利私欲が少なくて済んでいるのかもしれません。その善し悪しは今の私にはわかりませんが、いずれにせよ、自分の弱点を補う努力は大事であると思っています。そして、そのためには時空を越えて、書物に頼り、精神の糧を得て自らの精神を磨き、事上磨錬して日常生活のなかで自分自身を改造していくしかないと考えているのです。】

●参考2:『君子を目指せ小人になるな』より抜粋「知行合一により真理を得る」
【次の言葉は安岡先生がお使いになり、私も好きなので使わせていただいている言葉です。
「我というものは一つの天であり、命であり、一つの数である」
「我をよく徹見すれば、所に応じ時に従っていくらでも自分を易えていくことができる」
天を知り、命を知れば、我こそは無限の造化であり、創造変化であるとわかる。ゆえに自らの運命も変えていくことができるのです。
ただし、それを「単なる頭ではなく身体で、生命で全精神でこれを把握する必要がある」と安岡先生はおっしゃいます。頭だけで把握しても本当にわかったことにはならない。宇宙の本質は無限の創造であり、変化であり、行動であるがゆえに、知だけではとうてい真理は会得できません。行動、実践を伴わなければならないのです。
「知は行の始めなり。行は知の成るなり」と言ったのは、陽明学の祖である王陽明ですが、知と行いとが一体になる「知行合一」でなくては真理を得ることはできないということです。
このようにして「生きる限りは自己を修め、自己を延ばし、自己を変化していかねばならぬ」-ここに修身修養することの意味があるのです。】




 

(任意/公開)
(任意/非公開)



Copyright © SBI Holdings, inc. All rights reserved.