北尾吉孝日記

『終末期医療と患者意思』

2012年4月4日 13:02
この記事をシェアする

超党派の「尊厳死法制化を考える議員連盟」は先月22日、議連総会で「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」を公表しました(下記法案骨子参照)。

『○「終末期」は適切な治療を受けても回復の可能性がなく、死期が間近であると判定された状態
○「終末期」の判定は知識と経験のある2人以上の医師の判断が一致した場合とする
○「延命措置」は生存期間の延長を目的とする医療上の措置(栄養や水分補給の措置を含む)
○15歳以上で延命措置の開始を希望しないことを書面で示した患者に対し、医師は新たな延命措置を開始しないことができる(延命措置の不開始)
○延命措置の不開始については、民事、刑事、行政上の責任を問わない』(※1)

凡そ3年前、私は『臓器移植について』というブログを書きましたが、ある意味それと同じように上記問題に関しても皆様方夫々で様々な御意見があろうかと思います。
私見を端的に述べるならば、「体中に針を刺し回して最早動くことすら出来ず、回復の見込みもゼロに近いという状況で、褥瘡(じょくそう)になってまで生きたくはない」とか「人生でやり残した事は殆どない。他の人に迷惑は掛けたくない。私は早く逝きたい」といった思いがある人は、延命措置を拒否して自然の流れに任せて死期を迎えて行けば良いでしょう。
他方で「明日ひょっとしたら新薬が出来て、自分は助かるかもしれない」というように思い続ける人、あるいは「人工栄養補給をずっと受けて心臓だけが動いているような、ある意味植物人間化した状況の中でも、私はどうしても生き続けたい」と考える人は、最後の最後まで延命を図ろうとすれば良いでしょう。
要するにどちらの道を選ぶにしても、未だ自分の考えを確りと持ち得る比較的早い時期に自身の意思をきちっと書面で伝えて置くというのが、大事なことではないかと私は考えています。
人間は必ずあの世へ逝くわけですから、元気で判断能力が十分にある時にそうした事柄について常に考え、自らの死生観を確立して行こうとするのが非常に重要ではないかと思います。

参考
※1:2012年3月23日日本経済新聞朝刊「終末期の患者、措置望まぬなら、延命治療せぬ医師免責、尊厳死巡り議連が法案」




 

(任意/公開)
(任意/非公開)



Copyright © SBI Holdings, inc. All rights reserved.