北尾吉孝日記

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凡そ2年前、私は下記のようにtweetしましたが、例えば『今年は米アマゾン・ドット・コムの電子書籍サービス「Kindle(キンドル)」がついに上陸するとも噂され』、また今週月曜日には日本を代表する出版社や官民ファンドの産業革新機構が出資をする形で「株式会社出版デジタル機構」が発足するといったように、漸く日本でも電子書籍市場の拡大に期待が持てるような状況になってきたと私は嬉しく思っています(※1)。

【米国で電子書籍市場が急拡大していますが、それは当たり前のことで、本に限らず全てはデジタルになって行くでしょう。海外に本10冊を持って出張するのと、軽くて小さい電子書籍端末を一つ持って出張するのとでは非常に大きな違いがあります。日本でも早く電子書籍が普及しないものかと思っています。】(※2)

最近の例で言えば、閉店前の最後のブックフェアがソーシャルメディアを介して大変な話題となったジュンク堂書店新宿店の店長が「リアル書店が果たさねばならない役割がある」と述べていたようですが、デジタル化が進む社会の中で書店というものが生き残って行くのは相当難しくなるでしょう(※3)。
基本的には、あらゆるカテゴリの書籍が電子化されて行けば行く程、電子化されるものが多くなればなる程、書店の生き残りの可能性というのは限りなくゼロに近くなるというふうに私は捉えています。
今でさえ比較的早くデジタル化されるようになっており、一々書店に行かずとも興味深い本は検索出来るという状況もあるわけで、何のためにわざわざ書店に向かって本を探すのかという時代に既になっているとも言えましょう。
先日も偶々ある書店へ行って本を探したわけですが、仮に書店に行ったとしても余りぱっとした配列にはなっておらず、私にしてみれば目的物を調べるのがある意味昔よりも難しくなっているというふうに感じています。
率直に申し上げるならば、項目的には本来この場所にあるはずのものがそこには置かれていないというふうに、余りに本の種類が多過ぎるが故に配列というのも難解になっているのか、昔に比してカテゴリ分けが私にはしっくりと合わず、配列が下手になっているのではないかとも思っています。
最終的には上記書店の検索システムを使って書店員に調べて貰い、結果として目的の書物を見つけることが出来たわけで、やはり全てにおいてそうしたシステムに頼らねばならないというのが現況なのでしょう。
元々図書館等においても所謂「インフォメーションサイエンス」という形である種の分野が学問として成立しており、「日本ではまだ限られた大学でしか開講されていない学問分野」ではありますが、例えば慶応義塾大学は1968年に日本で初めて「図書館・情報学科」を開設しています(※4)。
A企業がある研究に取り組もうとする場合、世界でそうした研究を行っている所が既にあるのかどうかを認知すべく、きちっと検索出来るようなシステムが絶対的に必要になります。
と言いますのも、一生懸命研究し素晴らしい成果を収めてみたら、実は米国ではB企業が当該研究を終え既に特許取得済みであったというような話もあるかもしれず、そもそも研究に取り組んでも仕方がない場合があるからです。
それ故米国では早くからインフォメーションサイエンス、取り分け図書館情報学というようなものが考究され、例えば企業の場合で言うと製品の開発やディマンドに関するもの、あるいは特許に関連する事柄といった図書館の全情報を検索し得るシステムが整備されて行ったというわけです。
更には、他国の中央図書館や国会図書館等ともネットワークで結ばれているような仕組みが構築されることで世界中の情報が利用できるようになりますし、そしてまた、様々な学会で為される色々な研究成果の報告詳細について逸早く仕入れるべく学会毎に纏めて検索出来るといったことが、企業研究者や大学教授を含めあらゆる人にとって非常に重要になってきたということです。
最後に情報というものをどのように扱うのかという観点から、以下簡単に述べて行きたいと思います。
2006年度以降、私どもの新入社員には時々課題を与え小論文を書かせていますが、プラス面から言えば、今の若い人達は情報を取ってくるのが非常に上手くなったと私は驚いています。
唯、マイナス面から言えば、同類の情報源から皆が同じように情報を取ってくる傾向がありますから、何か面白みのない画一的な回答が導かれるようになっており、創造性というものが欠落してきているという問題があるわけです。
嘗ては情報というものに今日のようにアクセス出来ず、すなわち今行われているように検索によって簡単に取得出来るという状況ではなかったため、そうした時代においては自らの頭で考えるという行為が様々な独創的アイデアの生成に繋がったというケースが多々ありました。
『論語』の「為政第二の十五」でも次のように述べられていますが、「学んで思わざる」のも「思うて学ばざる」のも夫々「罔(くら)し」「殆(あやう)し」というふうになってしまうわけで、やはり両方が混在するようにしなければなりません。

 書き下し文『子曰く、学んで思わざれば則ち罔し。思うて学ばざれば則ち殆し。』
 現代語訳『孔子がおっしゃった。「学んでも自分で考えなければ、茫漠とした中に陥ってしまう。空想だけして学ばなければ、誤って不正の道に入ってしまう」』

今若い人達の多くが行っているのは、如何に情報を効率的に取得し合理的に繋げるかという論文の纏め方だけの技術的な世界の話であって、どちらかと言えばそれは本当の意味での思索ではありません。
情報を取ってくるのが上手いのは結構なことですが、やはりその上で思索を深めて行くというふうにしなければ、本当の意味での知恵が磨かれて行くということはありません。
従って、特に学生などはその辺りに気を付けながら、その本分である学業に精一杯励んで貰いたいというふうに私は思っています。

参考
※1:2012年4月3日日本経済新聞『出版デジタル機構発足、動くか“電子書籍後発国” アマゾン「キンドル」との複雑な関係
※2:2010年2月1日yoshitaka_kitao – Twitter
※3:2012年4月2日ITmedia『「書店が果たさねばならない役割がある」――ジュンク堂新宿店“最後の本気”
※4:慶應義塾大学文学部・慶應義塾大学大学院文学研究科 図書館・情報学専攻「概要・沿革





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  1. 私は電子書籍は買いません。完全防水でない限りリラックスタイムの入浴時に読めないからです。
    そこにどれだけのニーズがあるか分かりませんが。また本屋で目的の本を探してる間に別の興味深い本を見つける事も多々あります。忙しい世の中、本を読んだり、探す時間くらいゆったりしたいものです。



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