北尾吉孝日記

『自己を得る』

2012年4月20日 16:58
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他人の欠点は誰にでも見えるが自分の欠点が見える人は少ない、というように“教育界の国宝”とも呼ばれる東井義雄氏も述べていますが、欠点だけの問題ではなく自分の美点も含めたあらゆることについて、人間というのは自分自身のことが一番良く見えていないと言えましょう(※1/※2)。
「自分の天命とは一体何なのか」「天は如何なる能力や手腕を自分に与えたもうたのか」「ひとたび逆境に陥った時に自分自身はその中でどう変わって行くのか」といったように、あらゆることについて我々は知らないことばかりです(※3)。
昔から自分自身を知るということを、儒学の世界では「自得(じとく:本当の自分、絶対的な自己を掴む)」と言い、仏教の世界では「見性(けんしょう:心の奥深くに潜む自身の本来の姿を見極める)」と言いますが、自己を知るべく修行するというのがあらゆることの出発点です(※4)。
拙著『北尾吉孝の経営道場』(企業家ネットワーク)でも御紹介した通り、安岡正篤先生におかれても「人間は自得から出発しなければいけない。人間いろんなものを失うが、何が一番失いやすいかというと、自己である。根本的・本質的に言えば、人間はまず自己を得なければいけない。人間は根本的に自己を徹見する、把握する。これがあらゆる哲学、宗教、道徳の、根本問題である」と仰っています。
要するに鏡に映る自分の姿というのは鏡を通じた一種の虚像であって本物でないのと同じように、自分の本当の心を自ら掴んでいる人というのは殆どおらず、知っているようで知らないのが自己というものなのです。
それ故『老子』にも「人を知る者は智なり、自らを知る者は明なり…人を知るのは智者に過ぎないが、自分を知るのは最上の明とすべきことだ」という言葉がありますし、ソクラテスも『アポロン神殿の柱に刻まれていた「汝自身を知れ」の言葉を自身の哲学活動の根底におき、探求した』とされています(※4/※5)。
あるいは、ゲーテについても「人生は自分探しの旅だ」と言っているわけで、自分自身を知るということ程難しいことはなく、またそれが如何に重要であるかについては、古今東西を問わず先哲は諭しているのです(※4)。
この世のあらゆることは全て人間が生み出し人間が行っていることですから、自分自身も含めた人間というものを知らずして、大したことは成し得ません。
そうしたことを分かろうとするのが学であり修行であって、その為に例えば人間学を勉強するというのは大変結構なことであると思います。
学を志すという「発心」をし「決心」をされた後、最も大事になるのは仏教で言われる「相続心」ということであります。決心したことを続けるということです。
日夜仕事に励み、更には家族もいるような状況の中で勉強し続けるのは中々大変なことであろうとは思います。
唯、『論語』の「子路第十三の一」にも「倦(う)むこと無かれ」とあるように、途中で諦めたりはせず、決心したことは最後までやり遂げるという強い意志を我々は持たねばならないのです。
そして「倦むこと無かれ」とも関連したことではありますが、惜陰という考え方、正にこの一時一時を大切にして寸暇を惜しんで行かねばなりません。
およそこの世にあるもの全ては何時の日か必ず朽ちて行くわけで、儚いが故に時間を大切にするということが非常に大事になるのです。
一日24時間、誰にでも皆平等に与えられているわけですが、その限られた時間の中で我々の肉体再生において必須となる「食べる」「寝る」ということを出来るだけセーブしながら、学を学んで行かねばなりません。
私の場合、睡眠の密度を上げながら一日4時間睡眠というのを長い間実行してきましたが、起きている時間を出来るだけ長くしつつ、マージャンやパチンコといった詰まらないことに無駄な時間を使わずに、これまで精一杯勉強し続けてきました。
人間皆生まれた時から棺桶に向かって走っており、そして人生は二度ないわけですが、世の中お金を惜しむ人は沢山いる一方で、時間を惜しむ人が意外と少ないのは何故でしょうか。
「昔に比べれば平均寿命は格段に延びた」「不治の病とされる難病も何れ治る病気になるだろう」等々の考えから、ついつい無益な時間を費やしているのかもしれませんが、一度過ぎ去った時間というのはもう二度と取り戻し得ない非常に貴重なものです。
平均寿命が延びたと言っても、人生の賞味期間というのは恐らく30年~40年位でそれ程長くはありません。
その間に世に名が残るような仕事をすべく、惜陰ということを頭に入れて時間の進む速さとその使い方をやはり考え続けねばならないのです。
それからもう一つ、学を学として知識に留めておく限りにおいては、殆どと言って良い程実際の生活において役に立たないものでありますから、行を通じて血肉化する中で本物にして行く必要があります。
即ち、日々の仕事、あるいは社会生活において常に事上磨錬知行合一を実践して行く中で始めて、その人の人間においての実質的な進歩向上が見られるのであって、そうでなければ永久に自分自身は知り得ないということです(※6)。
『論語』の「憲問第十四の三十二」にも「人の己を知らざることを患(うれ)えず、己の能なきを患う」とあるように、孔子が様々な形でしばしば言い続けているのは、人が自分を評価してくれないのを憂うるのではなく、自分の能力が足りないから評価を得ていないという所を憂えよということです。
誰しもが自分には寛大だが他人には厳しいというような人間のある種の性のようなものを多かれ少なかれを持っているわけで、そうした部分を直して行くことこそが修行というものです。
昨日より今日、今日より明日というように、この世は常に良くならなければなりません。
この世に生を受けた我々の使命とは、次の世代により良きものを渡して行くということなのです。
その為には上述してきたことと併せて、「人間如何にあるべきか」「人生如何に生きるべきか」ということも考えながら、我々は日々勉学に一生懸命励み、棺桶に入るまで人物を磨き続けて行かねばならないというふうに私は認識しています。

参考
※1:2012年2月28日致知出版社のメールマガジン『「偉人たちの一日一言」【自分の欠点】』
※2:致知出版社 公式サイト『新聞広告掲載の「喜びの種をまく」総リードを、全文公開いたします
※3:2011年4月4日北尾吉孝日記『2011年度入社式訓示
※4:2009年1月13日『君子を目指せ小人になるな』(致知出版社)
※5:Amazon.co.jp「汝自身を知れ ~古代ギリシアの知恵と人間理解
※6:2011年12月15日北尾吉孝日記『「坂の上の雲」のテレビドラマ化




 

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