北尾吉孝日記

『「国家株」は現実的か』

2012年5月18日 17:10
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日経ヴェリタス215号でも下記のように指摘されていますが、「米エール大学のロバート・シラー教授は国内総生産(GDP)の約2倍の政府債務を抱える日本」に対して、『国債ではなく「国家株」を出して資金調達したらどうか』と提案し一部で話題を呼んでいるようです。

『国家株の名称は「トリル(Trill)」。1兆分の1を表す「Trillionth」が語源だ。シラー教授はトリル1株への配当として、GDP1兆円につき1円を払うことを提唱している。
株になれば返済する必要がなく、債務問題もなくなる。債券のように格下げの恐怖におびえなくて済む。さらに、株価をGDP成長率と連動させ、国に対し、経済成長を促す圧力が強まる効果も狙う。』

国家株というようなアイデアもあっても良いとは思いますが、そもそも株式会社というものと国家というものは一緒には出来ないものです。
株式というのはあくまでも営利を目指し、それに期待を掛ける人が投資を行うわけですから、そうした営利の世界から離れた所にあるはずの国を持ち出すというのは如何なるものかと思います。
最近は企業経営者の中にも国家経営論というふうに称して、国家にも企業経営の考え方が必要であるといった議論を展開する人も随分といます。
それは国であれ会社であれ一つの予算を以って動くという、ある意味似通った側面があることに由来するものです。
言うまでもなく、国の場合は「これ位の税収があるから予算はこう立案する」というような世界であり、片方で会社の場合は「これ位の利益が見込まれる。将来利益を増やすには如何に投資や社内留保にすべきか」といった中で支出が決まって行くという世界です。
要するに「入るを量りて出ずるを制す」という『礼記(らいき)』の中にある考え方で国家を正に経営すべきといった議論であり、それはそれで一理あると思いますし、そうした考え方を導入すべきとも思います。
では、上述の国家株の議論を具体的に考えると一体どうなのかということですが、先ず第一に想定されるのは、国の株式を誰がどう評価し如何なる形で何処に上場するのかという問題です。
例えば、株価に影響を及ぼすことになる国の資産・負債一つとってみても、明確なものとしてあって公表して行くということがきちっと全て出来るのかが、当然ながら先ず一つ懸念されましょう。
次に挙げられるのは、国というのが様々な形で法に縛られた存在であるという点です。
今も消費税議論が沢山為されていますが、税収というのは法律が変われば増やすことも減らすことも出来るわけで、課税率を上下させることも出来れば税基盤を拡大することも出来るのです。
勿論、私企業もそうして縛られた中で生きている部分はありますが、やはり国家と比べれば大きな自由度が存在していますから、そうした意味で遥かに小さい国の自由度というのも問題として考えられましょう。
このように双方の相違点を様々な観点から考察した場合、言葉として国家株が発せられるのは全くナンセンスであるとも言いませんが、先に述べた通り実際問題として具体的になってくると大変難しい部分があるというように思うのです。
そこでの見解はてんでばらばらで正論を得ることは中々出来ず、そして何が正しいのか何が正しくないのかも良く分からないといったことが、そこにはあるではないかというふうに思います。




 

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