北尾吉孝日記

『孔子と老子』

2012年5月28日 10:01
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今月10日に致知出版より刊行された拙著『ビジネスに活かす「論語」』でも孔子と老子の怨みに対する態度の違いに関して述べましたが、怨みのみならず夫々の思想の違いというのは非常に沢山あって大変興味深いものがあります。
年を取り円熟すると老子が好きになるという人も結構いますが、年を取ってある意味余り角がなくなってくると老子の思想の方が受け入れ易くなるのかもしれません。
取り分け次のような老子の「水の哲学」と言われるものなどは、ある程度年を取ると受け入れ易いものとも思われますが、夫々の思想にはそうした違いがあるというふうに感じています(※1)。

 書き下し文『上善は水の若し。水は善く万物を利して而(しか)も争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る。故に道に幾(ちか)し。(中略)それ唯(た)だ争わず、故に尤(とが)め無し。』
 現代語訳『最上の善とはたとえば水の様なものである。水は万物に恵みを与えながら万物と争わず、自然と低い場所に集まる。その有り様は「道」に近いものだ。(中略)水の様に争わないでおれば、間違いなど起こらないものだ。』

やはり若い時には「直(なお)きを以て怨みに報い(公正公平をもって怨みに報い)」という孔子の基本的な考え方は分かっても、「怨みに報ゆるに徳を以ってす」という老子流の考え方は、どうしても納得し難いのが普通ではないか思います(※2)。
あるいは老子の思想の中には、例えば世の中の状況がこれだけ悪く今出て行っても怨みを買うだけという時には、晴耕雨読の隠遁生活といったものを送っていれば良いと導くような考え方もあります。
それに対して孔子はそうした考えを受け入れず、「周の時代に比べて世の中はこれだけ可笑しいことになっている。もう一度、周の時代のような政治が執り行われる世界に戻さなければならない」というように、世の中が間違っているから徳治政治により立て直さねばならないというふうに考える部分が常にある人です。
私などは61歳にもなって未だ血気盛んなのかもしれませんが、どちらかと言えば孔子の世界の方に今の所好感を得るような心境です。
唯、これから段々と円熟味を増してくれば、老子の言う事に対して「あぁ、なるほどなぁ…」と思うことが寧ろ増えてくるのではないかというふうにも思っています。

参考
※1:2009年10月14日ちょんまげ英語日誌「老子 第八章 上善は水の若し
※2:2012年3月29日北尾吉孝日記「『論語』と私




 

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