北尾吉孝日記

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普通の努力をしていれば普通の結果しか生み得ません(※1)。
普通以上の結果を出そうとすれば普通以上の努力が必要になりますし、凡人がする何倍もの努力なくして凡人を逸脱するような人間にはなり得ません(※1)。
幾ら努力を積み重ねても全く報われることがないというケースもあるかもしれませんが、それは結果として運が良い形で展開していないからでありましょう。
凡そ一年前のブログ『成功する人、失敗する人』でも述べた通り、運を呼び寄せるものとしては「努力」、「誠実さ」、そして「粘り」の3つが取り分け重要であると思います。
努力をしていない人には運もまた回ってきませんし、また運が回ってきた時にも徹底的な努力によって運気を強めている人にしかその運は取り込め得ないものです。
勿論「そんなことを一生懸命頑張ってみても意味はないでしょう」というところにひたすら努力を積み重ねている人も中にはいますが、私に言わせればそれもまたそれで決して無駄ではないと思います。
と言いますのも、その努力の途中で必ず自ら気付きがあるはずで、例えば「この方法を少しこう変えてみよう」とか「こういう視点で物事をもう一度見直してみよう」といった形で改善が図られ、そして更に努力を続けて行くというふうにどこかの時点でなって行くからです。
従って、方向性をずっと誤ったまま努力をし続け結局何も報われないというようにはならないでしょうし、人生のあらゆることに決して無駄はないと私は信じています。
「無駄な努力」という言葉もありますが、私自身は何事も決して無駄ではないというふうに考えてきましたし、自らもそうして兎に角がむしゃらに精一杯努力し続けてきました。
拙著『日本人の底力』(PHP研究所)でも指摘したことですが、そもそも人間の差などというものは「賢愚一如」であり、我々人間を創りたもうた絶対神から見れば人間の知恵など所詮微々たるものです。
即ち、賢い人も愚かな人も皆同じようなものであり、「片一方は賢く、片一方は愚か」としてみたところで一体どれ程の差があるのかというわけです。
それ故そういう意味では、持って生まれた天賦の才によりあの人は努力をしなくても成功を収め得る、というような世界など九分九厘ないと言っても過言ではありません。
『論語』の中に「有教無類(教えありて類なし)」や「性相近し、習い相遠し」という言葉がありますが、結局人間の差を生むのは学問、修養でありそれらに対する努力ということだと思います(※2)。

参考
※1:2011年4月4日北尾吉孝日記『2011年度入社式訓示
※2:2011年12月29日北尾吉孝日記『児童虐待問題の解決に向けて




 

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