北尾吉孝日記

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日経ヴェリタス227号でも下記のように指摘されていますが、確かに統計データ的に見れば日本は世界に冠たる「長寿企業大国」と言えましょう(※1/※2)。

『老舗研究を専門とする日本経済大学の後藤俊夫教授の調べによると、非上場企業も含めた創業200年以上の企業数は昨年末現在で3937社。2位以下は独(1850社)、英国(467社)、フランス(376社)などが続く。アジアでは中国(75社)、インド(6社)、韓国(1社)などは極端に少ない。老舗の多寡は必ずしも各国・地域の歴史の長さとは相関しないようだ。』

上述した形で何故日本が世界を圧倒しているのかについては様々な観点から色々な要因が挙げられますが、その一つに四海に囲まれた日本という島国では長い間鎖国も続けられ他国の侵略を受けずに外圧というものを殆ど得なかったというのがあると思います(※1/※2)。
即ち、早くから外敵の侵入に遭うこともなく内国に因るものでしか競争状況が生じていなかったとか、あるいは総じて戦乱戦火に巻き込まれることがなかったというのが、私は大きな理由一つのではないかと考えています。
それからもう一つ、特に江戸時代において石田梅岩先生を中心に商行為の正当性を説き商人社会に所謂商人道というものが示されたとか、あるいは「心田」を開拓すること荒れた農地を開墾して行くことの二つを生涯の使命とした二宮尊徳翁が農業分野においてもやはり徳の重要性というものを説かれたといったように、そうした偉人の努力の甲斐もあって勤勉に一生懸命働くということが日本人にはある意味当たり前のこととして受け入れられてきたというのも一つあると思います(※3/※4/※5)。
即ち、働くというのは傍を楽にすることであり、奉公というのは公に奉ずることであり、そしてまた「仕」も「事」も仕えると読むように仕事というのは天に仕えることである、といった一つの仕事の道徳と言い得るものが長い間日本に根付いてきたことが非常に大きな理由なのであろうと私は考えています。
唯、現代において第一番目の条件は疾うの昔になくなっており、正に外敵がどんどん攻め入ろうとする中でどう生き残って行くのかという状況であって、老舗と雖も時代の流れというものを察知出来ない所は最早潰れて行かざるを得ないようなケースも此処のところ出てきているわけです。
もっとも、例えば野田醤油株式会社(現在のキッコーマン株式会社)の醤油というのは非常に日本的なもので、魚醤等を食べる習慣のある国と日本とでは味の好みに大きな違いがありますから、こういうものは中々日本に入って行き難いと思います(※6)。
またマヨネーズについても、味の素株式会社等の果敢な挑戦にも拘らずやはりキユーピー株式会社の牙城を中々崩し得ないわけで、日本人の嗜好というものは概してある意味での不変性を有しているというようにも思われます(※7/※8)。
しかしながらそうした中にあって、例えば87年に投入されたアサヒスーパードライはその10年後に「72年から14年間の長きにわたって、なんと60%台前半の高いシェアを占め続けた」キリンラガーを抜いてトップ銘柄になったというように、長年『「にがくて、コクがある」ものと言うラガー神話が支配してきた』日本の嗜好品においてもシェアの逆転が起こり得るということが当該事例によりある面証明されたとも言えましょう(※9)。
食生活というものが段々とグローバルになってくると、こうした嗜好品ですら取って代わり得るという認識は持つべきでありましょうし、逆に言えば「国際的に評価は高く、潜在的な競争力を持っている」日本の食文化を「我々の手で海外に広めて行くんだ!」という一つ気概を持たねば、老舗と雖もやはり厳しい状況に置かれることになってくるのです(※10)。
例えば先に述べたキッコーマン株式会社は1950年代から醤油の国際化に取り組んでいますし、あるいはチキンラーメンの日清食品ホールディングス株式会社なども1970年と比較的早い時期から日本で作り上げた食文化を海外に広めて行くということに注力してきたわけです(※11/※12)。
昨年11月のブログ『日本経済浮揚のために』でも下記のように述べましたが、「TPPと農業問題」と言われているものについても、結局こういうふうに加工製品を作りながら世界中に広めて行くことが一つの解決策に繋がって行くのであろうと思う次第です。

【例えば単に米を作るということではなく、加工して米のパンを作るとか(私も食べてみましたが結構美味しかったです)、あるいは先進性を有する日本の缶詰技術を用いて付加価値を加えて行くといった取り組みが求められるのです。
また、おかきと称される米煎餅というのは「柿の種」など外国人には非常に受け入れられるおつまみになっているという事実もあるわけで、今日本に必要なのは上述したようなものを新たに創り出し世界に市場を求めて行く努力をするということではないかというように私は認識しています。】

参考
※1:2012年7月15日日経ヴェリタス「長寿企業の生命力――200年以上が4000社弱、世界で突出」
※2:2007年6月18日NHKオンライン「NHKスペシャル|長寿企業大国にっぽん
※3:2008年3月城西国際大学紀要 第16巻 第1号「CSRと日本的経営観
※4:2009年4月1日株式会社クラステクノロジー 四倉幹夫のコラム『【第128回】論語と算盤 -今こそ問われる日本のエートス その3
※5:2009年5月7日北尾吉孝日記『二宮尊徳の三徳
※6:キッコーマン株式会社 会社案内「キッコーマングループの歩み
※7:キユーピー株式会社 企業情報「沿革
※8:味の素株式会社 沿革・社史「味の素グループ年表
※9:立命館アジア太平洋大学 企業研究入門ケース「キリンビールとアサヒビール
※10:2010年12月20日北尾吉孝日記『日本の食文化について
※11:キッコーマン株式会社 会社案内「海外への展開
※12:日清食品ホールディングス株式会社 グループの事業「海外事業





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  1. 「善人なおもて往生す。いわんや悪人をや」と浄土真宗の「歎異抄」に
    書いてあります。

    善悪一如と看做す説は親鸞上人開祖浄土真宗の教えと思います。
    親鸞が師事した法然上人の念仏専念の道は同じですが本件は浄土真宗が
    パラドックス手法によってより鮮明に阿弥陀如来への依存によってのみ
    凡夫すなわち善人も悪人もあまねく衆生が救われると説いた教えでしょう。

    法然上人の浄土宗にはこの教えはありません。

    現在カトリックですが浄土真宗の家に生まれ育ったので自分の血肉となっている
    教えです。中国古典は教養、仏教は哲学、宗教はカトリックの精神構成になっている
    自分がいます。

    参考先:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E4%BA%BA%E6%AD%A3%E6%A9%9F
    悪人と善人
    「悪人正機」の意味を知る上で、「善人」と「悪人」をどのように解釈するかが重要である。ここでいう善悪とは、法的な問題や道徳的な問題をさしているのではない。また一般的・常識的な善悪でもない。親鸞が説いたのは仏の視点による善悪である。

    法律や倫理・道徳を基準にすれば、この世には善人と悪人がいるが、どんな小さな悪も見逃さない仏の眼から見れば、すべての人は悪人だと浄土真宗では教える。[2]
    悪人 衆生は、末法に生きる凡夫であり、仏の視点によれば「善悪」の判断すらできない、根源的な「悪人」であると捉える。 阿弥陀仏の光明に照らされた時、すなわち真実に目覚させられた時に、自らがまことの善は一つも出来ない悪人であると気づかされる。[3]その時に初めて気付かされる「悪人」である。 善人 親鸞はすべての人の本当の姿は悪人だと述べているから、「善人」は、真実の姿が分からず善行を完遂できない身である事に気づくことのできていない「悪人」であるとする。 また自分のやった善行によって往生しようとする行為(自力作善)は、「どんな悪人でも救済する」とされる「阿弥陀仏の本願力」を疑う心であると捉える。(#本願ぼこりも参照のこと。) 因果 凡夫は、「因」がもたらされ、「縁」によっては、思わぬ「果」を生む。つまり、善と思い行った事(因)が、縁によっては、善をもたらす事(善果)もあれば、悪をもたらす事(悪果)もある。どのような「果」を生むか、解らないのも「悪人」である。



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