北尾吉孝日記

『人間的魅力とは何か』

2012年8月20日 17:18
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人間的魅力を持っている人に共通しているのは、ある意味そう単純な人ではないということかと思います。
即ち、引き出しを多く持ち、臨機応変にその場その場で一番適切な引き出しからベストな判断や対応を出来る人というのが、ある種の人間的魅力を持っている人ではないかと思うのです。
もう少し具体的に、王陽明が弟子に与えた手紙の言葉を使い説明しましょう。手紙の中に「天下の事、万変と雖も吾が之に応ずる所以は喜怒哀楽の四者を出でず」という言葉があります(※1)。
人間である以上、喜怒哀楽というのは皆夫々が持っているものですが、王陽明曰く、如何に喜び、如何に怒り、如何に哀しみ、如何に楽しむかが大切だというわけです(※1)。
先ずこの喜怒哀楽というものについて、自分自身である程度コントロール出来るかどうかが人間的魅力を持っている人か否かということなのだろうと思います。
如何に喜ぶか、如何なることに喜ぶかといったことが適切な人は、やはり人から魅力的な人間だと思われることでしょう。
また、例えば誰かが亡くなった時に心から哀悼の意を表するというように、悲しむべきことに心から悲しむということも非常に重要です。
即ち、それはどれだけの香典を供えるかという世界ではなく、肉親や旧友といった心から悲しんでいる人達とその悲しみを分かち合い、自らも悲しいという気持ちを本当に持ち得るか否かということです。
そして怒る時にはくだらないことで怒るのではなく、社会正義に照らして正しいかどうかを判断基準とし、何に対してどういうふうに怒るのかが、やはり人間的魅力を持つ人は全く違ってくるわけです。
人間はとどのつまり喜怒哀楽と言いますが、喜び方、怒り方、悲しみ方、楽しみ方が時宜にかない真心から適切に出てきているという状況であれば、その人は人間的魅力があるというふうに言い得るのだと私は思います。
例えば、直情で激昂するような怒り方をする人というのはやはり魅力的ではなく、抑えるべきところは抑え、真に怒るべきところに怒らねばならないということです。
如何なる事態に直面しようとも、自分が正しいと信じたら毀誉褒貶を顧みず、『孟子』の中にある孔子の言葉のように「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も吾(われ)往(ゆ)かん」と、恐れずに勇気を持って貫き通すということが大事であると思うのです(※2)。
私はそういう人こそが人間的魅力を持っている人であるというふうに思いますし、ある意味そういうふうに人間的魅力というのはそう単純なものではないということです。
それからもう一つ、様々な艱難辛苦を経験し人の痛みが分かるということ、即ち、人の痛みを自分の痛みとして捉え得るということが、人間的魅力を持つということに非常に関わっています。
人の喜怒哀楽について、自分がそれをシェア出来る人、人の気持ちになって考え感ずることが出来る人というのが、人から見て魅力的で素晴らしい人だというふうに思われるようになるのではないかと思っています。

参考
※1:2012年3月8日北尾吉孝日記『忍耐というもの
※2:2012年3月29日北尾吉孝日記「『論語』と私




 

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