北尾吉孝日記

『知情意をバランスする』

2012年10月12日 15:03
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「山路を登りながら、こう考えた」として、あの『草枕』冒頭には次の有名な一節があります(※1)。

『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。』

これは一種の芸術論とも言えますが「とかくに人の世は住みにくい」というのは、ある意味で正しいと思います。
この住み難い世の中において心の憂いがなくなるという境地、即ち『易経』にある「楽天知命(天を楽しみ命を知る、故に憂えず)」という境地に達するには、大変な修行をせねばなりません(※2/文末「学問の本義②」参照)。
鍛錬に鍛錬を重ねる中でも、上述したように角が立ったり流されたり窮屈に感じたりといったことが頻繁に起こってきますから、そう簡単に行くような話ではありません。
知情意全体をバランスして行くに当たっては、例えば知に関しても、知を押し通すというのではなく知を如何に表現して行くかといったように、知情意夫々の中でのバランスも重要になってきます(※3)。
『論語』の「雍也第六の二十九」でも「中庸の徳たるや、其れ至れるかな(中庸は道徳の規範として、最高至上である)」と述べられている通り、中庸という一つのバランスを保って行くのは至難の業ですが、知情意を統一体としてバランスさせるだけでなく個々の中でもバランスをとるということは、やはり死を迎えるまで修行し続けて行かざるを得ないのだろうと思います(※3)。
如何に知情意をバランスさせるかが重要であるというのは、結局のところ東洋哲学的には平常心や恒心といったものを持つことが如何に大事かということに繋がるわけで、如何なる事態においても恒の心、即ち常に定まったぶれない正しい心を保って行かねばなりません(※4)。
「どれ程の急変が起ころうとも、その心は失わない」とか「様々な形で周章狼狽するような状況になっても、その心は失わない」といった形で恒心を保つのは非常に難しいことですが、どのようにしてその実現を図るかと言えば、私は取り分け次の三つが重要であると考えています(※5)。
第一に、人生におけるあらゆる辛酸を嘗め尽くし、「世の中には自分以上に苦しんでいる人が沢山いる。自分の存在は寧ろ有り難い」というふうに一面思えるよう、兎に角色々な経験をするということです。
第二に、中国清朝末期の偉大な軍人、政治家で太平天国の乱を鎮圧した曾国藩が言う「四耐四不」すなわち「冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激(げき)せず、躁(さわ)がず、競(きそ)わず、随(したが)わず、もって大事を成すべし」という言葉の実践です(※6)。
例えば、私などもお会いする様々な方に「北尾さんは、恵まれていて羨ましい」というように言われることもありますが、期日までに確実にこなさねばならない案件が常に山ほどあり、かつそれが増え続けているという状況で、限られた時間の中でどんどん迫ってくる「煩」というものに日々耐えながら、粘り強く裁き続けて行くのは実に大変なことであると感じています(※7)。
そして最後は「学」というものであり、荀子も言うように憂えて心が衰えないようにするため、世の中の複雑微妙な因果の法則を悟って惑わないようにするため、学問をしっかりと修めねばならないということです(※8/文末「学問の本義①」参照)。
このように兎に角様々な面で大変な経験を積み、「四耐四不」で様々な艱難辛苦を克服して行く中で自らを鍛え上げ、そこに学問をするということが合わさって、恒心・平常心とか知情意のバランスというものが達成されて行くのではないかという気が私はしています。

≪拙著『君子を目指せ小人になるな』より抜粋 ― 「学問の本義」(※9)≫
①“人生に惑わないために学ぶ”・・・【ここまで述べた孔子の学問の本義をまとめてみます。私は、荀子の言葉がそれを非常によく表していると思っています。
「夫れ学は通の為に非ざるなり。窮して困しまず、憂えて意衰えざるが為なり。禍福終始を知って惑わざるが為なり」
実に学問の本義を明確に述べています。
学問というものは、立身出世や生活の手段ではなく、どんなに窮しても苦しまず、どんな憂いがあっても心が衰えず、何が禍で何が福なのか、その因果の法則を知り、人生の複雑な問題に直面してもあえて惑わないためのものである、と。
「禍福は糾える縄の如し」「人間万事塞翁が馬」です。何が禍になり何が福になるかは、なかなかわかりません。しかし、因果の法則--これを「数」といいます--を知れば、人生の複雑な問題に直面しても惑わなくなる。そのために行うのが学問の本義である、というわけです。つまり、孔子にとっての学問とは、自己の自立性を磨き上げて自由を確立するために行うものなのです。
荀子は性悪説を唱えた人として知られています。孔子の門から出て、孟子と並び称される人物です。非常に面白い意見の持ち主ですから、ぜひ熟読されることをお勧めします。】
②“命を知り、心を安らかにする”・・・【もう一つの学問の本義として、次の『書経』の言葉をあげてみたいと思います。
「自ら靖んじ、自ら献ずる」という言葉です。
内面的には良心の安らかな満足、またそれを外に発しては、何らか世のため人のために尽くす、という意味です。
学問をすることによって命を知り、命を知った結果として心が安らかになる。楽天知命です。これが学問の本義の二つ目であると思います。
第一章で述べたように、私の場合、四十九歳のときに自らに与えられた二つの天命を知りました。その一つは事業にかかわることであり、もう一つは福祉にかかわることでした。そして、天命を知った結果、それからあとは何も迷うことなく、その実現に向けて突き進んできました。その過程で私の心は『書経』のいうように安らかになりました。それは、目標として定めたことが一つひとつ形になって表れ、ある種の自己満足が得られたからだと思います。
たとえば、「SBI子ども希望財団」をつくり、その後、「慈徳院」をつくるというように、一つひとつ思いを具現化させていくと、それがある種の自己満足にもつながり、そこで心境の変化が起こって、心の安寧が得られていくということではないかと思います。そうした意味で、私自身、天命を知ることによって心が安らぐという体験をしてきました。】

参考
※1:青空文庫 図書カード:No.776『草枕
※2:2012年8月8日北尾吉孝日記『本物と偽物
※3:2012年3月8日北尾吉孝日記『忍耐というもの
※4:2008年4月3日北尾吉孝日記『人物をつくる
※5:2012年7月20日北尾吉孝日記『恒心を保つ
※6:2010年12月17日北尾吉孝日記『今年の漢字について
※7:2012年10月11日北尾吉孝日記『仕事の心掛け
※8:2011年12月14日北尾吉孝日記『「なぜ自殺は減らないのか」を考える
※9:2009年1月13日『君子を目指せ小人になるな』(致知出版社)




 

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