北尾吉孝日記

『耳学問について』

2012年10月17日 15:18
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日経ビジネスオンラインに「耳学問で賢くなる人、ダメになる人」という記事がありましたが、私に言わせれば耳学問であれ書を読んでする学問であれ、学問として価値のあることなら両方をすべきであると思います(※1)。
例えば、学識を有するそれなりの人物が講演を行う場合、その講演に行き話を直接聞く中で啓発されることはやはり沢山あるわけで、個々人にとって非常にプラスに作用すると思います。
そして更には、講演者の話し方として自身の体験を織り交ぜながらスピーチしているなら、視聴者が視覚のみならず視覚と聴覚を通して認知することで、彼らの心に響きより大きなインパクトを与えることがよくあります。講演者が伝えたい事の神髄が効果的に視聴者に入ってくるというのも実は随分あることです。
従って、耳学問も大いに結構というように私は考えていますし、また仕事の中でも様々な人と話をする中で「事上磨錬」というのは出来ると捉えており、人間そもそもが人との関わり合いにおいてしか何事をも成し得ないわけで、人との関わり合いがあるということ自体も良いことであると思っています。
松下幸之助さんも「まあ極端に申しますと、もし日本の国民をみないわゆる竹林の七賢人のようにしたら、日本はどうなるでしょう」と述べられていますが、世の状況を憂い、そこから離れるだけで竹林の七賢人のように隠遁生活をするのが最も良い、というふうな考え方を持つことが一番問題であり、そういう人は正に独断と偏見に陥り易いと言えましょう(※2)。
従って、多くの人と交わり多くの人の意見を聞いて、それを参考にしつつ書物から得たものとも混ぜ合わせながら、自らの意見や見識といったものを練り上げて行く、ということこそが大事ではないかと私は思っています。

参考
※1:2009年1月26日日経ビジネスオンライン「耳学問で賢くなる人、ダメになる人
※2:Google ブックス「危機日本への私の訴え




 

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