北尾吉孝日記

『子を育てる』

2012年11月22日 18:19
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先週木曜日フェイスブックに投稿した『名を命ずる』に対して、齊藤大輔様より「もし、お時間の許す時があれば、子育てについての北尾さんのお考えをお教えいただければ、ありがたいです」というコメントを頂きましたので、本ブログにて安岡正篤著『孟子 不安と混迷の時代だからこそ』(PHP研究所)にも書かれている面白い話を一つ御紹介しておきます(文末参照)。
『孟子』の「離婁(りろう)章句上十八」に「古(いにしえ)は子を易(か)えて之を教う…昔の親は自分の子供を自ら教えるのではなく、他人の子供と取り換えて教え諭した」とあるように、孟子というのは子供とり分け男の子を育てるのは非常に難しいと考え、我が子の教育は信頼する友達に任せ、友達の子供を自らが教育するというようにしたら良いのではないかと述べています。
例えば子が親に何らかの質問をし、それに対して親が殆ど答えられないといった時、親が子に対して「お父さんは熱心に勉強してきた。お前も一生懸命勉強しなさい」と言ったところで、子供も「お父さんだって何も知らない。勉強してこなかったんだろう。何で俺ばっかりに言うんだ…」となるでしょう。
子は親を常に見ており、それ程立派でもない親が子に対してああしろこうしろというのは無理な話であって、私は昔「なるほど…そういう部分もあるかなぁ」というふうに思い面白く『孟子』のこの部分を読んだ記憶があります。

≪安岡正篤著『孟子 不安と混迷の時代だからこそ』より≫
 「公孫丑曰く、君子(くんし)の子を教えざるは何ぞや。
 孟子曰く、勢(いきお)い行われざればなり。教うる者は必ず正(せい)を以(もつ)てす。正を以てして行われざれば、之(これ)に継(つ)ぐに怒を以てす。之に継ぐに怒を以てすれば則ち反(かえ)って夷(そこな)う。夫子(ふうし)我に教うるに正を以てす。夫子未だ正に出でざるなりと。則ち是(こ)れ父子相夷うなり。父子相夷うは則ち悪(あ)し。
 古(いにしえ)は子を易(か)えて之を教う。父子の間は善を責めず。善を責むれば則ち離る。離るれば則ち不祥焉より大なる莫し」

 孟子の門人である公孫丑という男が尋ねた。「君子は自分の子供を教えないと言われますが、どうしてなのでしょうか」。それに対して孟子は言う、「それは自然の成り行きとしてうまくいかないからである。教える者は必ず正しい道を行えと厳しく言う。うまくいけば良いが、実際は教えた通りにはならない。うまくいかないとなれば、教える者はついつい腹を立てて怒鳴ってしまう。怒鳴ってしまうと、本来は正しいことを教えたはずなのに、かえって愛情とか父子の関係を損ねる結果になってしまう。それどころか子供は『お父さん、あなたは私に正しいことを教えているが、いったいあなた自身は正しいことを行ってないじゃないか』と反発してしまう。こうなったら、もう取り返しがきかない。
 だから昔の親は自分の子供を自ら教えるのではなく、他人の子供と取り換えて教え諭(さと)したのである。父が子に善を責めると、親子の情が離れてしまう。それこそこれ以上不幸なことはない」




 

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