北尾吉孝日記

『黙養ということ』

2012年12月6日 13:12
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今年8月、私は「今日の森信三(398)」として『「良寛全集」を見ますと、その「戒語」編には、七、八種もの「戒語」が載っていますが、しかしその内容は、いずれも大同小異といってよいのであります。しかも、その際驚かされるのは、それらのうちの大部分が、実に『言葉』についての「戒め」で占められているということです』とツイートしましたが、このように良寛などでも言葉を慎むということを非常に大事にしていたようです(※1)。
人間にとって言葉が最大の意思表示になるのは言うまでもありませんが、だからこそ不必要な言葉を発しないということ、即ちそれを言った時に相手が如何なる反応を見せるかを十分に見極めてものを言うということが大切になります。
そしてまた、聞くということは意思表示としては余り効果がないと考えられがちですが、最近では年間ベストセラーとして阿川佐和子著『聞く力』(文藝春秋)という本も出ているように、やはり対人関係を良くする上でも聞くということは大変重要です(※2)。
即ち、言うことばかりで聞くことが疎かになるという場合、延いては独善・独断といったものに陥り易いと言えるわけで、聞くことで相手を理解するとか、あるいはその理解に基づいて物事を考えてみるといったことが、非常に大事であると思います(※3)。
そういう意味では例えば、明の陽明学の大家である李二曲(りじきょく)は「黙養」、黙して養うということを盛んに言っていたようですが、一人静かに瞑想に耽るとか、何も考えずに座禅するというのは、英気を養う上でも極めて重要です(※4)。
確かに、話さねばならないことを話さないとか、帰宅後にムッツリしているということで雰囲気を悪くするといった部分も勿論あるにはあると思いますが、その一方で出社して喋り捲り退社してまた喋り続けるというような中では決して英気は養われません(※4)。
従って、静かに英気を養うべく誰しもが黙養する時間というのをきちっと確保した方が良いかと思われますが、私の場合はと言うと朝風呂場で半身浴をした後に5分程度と非常に短い時間ではありますが、湯船につかりながら何ら思考を働かせず水面を漂っているような中で黙養をしています。
またその時に、鼻から息を吸い一旦丹田に溜めて口から一気に吐き出すということも私は行っていますが、そういう呼吸法と併せて黙養ということをしてみると非常に良いのではないかという気がしています。
最後に諸葛孔明の言葉である「寧静致遠(ねいせいちえん)」を紹介致しておきます。これは、ゆったりとした静かな気持ちでいなければ遠大な境地に到達できないと息子に宛てた手紙の中にあります。

参考
※1:2012年8月20日yoshitaka_kitao – Twitter
※2:2012年12月3日朝日新聞『年間ベストセラー、阿川佐和子「聞く力」が1位
※3:2012年10月17日北尾吉孝日記『耳学問について
※4:Google ブックス「孟子 不安と混迷の時代だからこそ




 

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