北尾吉孝日記

『人生二度なし』

2013年3月27日 18:05
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此の時節になりますと、私は何時も二つの詩を思い出します。
一つは劉延芝の有名な漢詩の一節「年年歳歳花相似たり歳歳年年人同じからず」で此の花は桜ではなく桃の花を指しているわけですが、毎年美しい桃の花は同じように咲くが、この花を見る人々は毎年変わっていると詠っているのです。中国では毎年咲いてくる桃の花に対し日本での桜と同じように色々な感慨を持って見られています(※1)。
もう一つは良寛の一句「散る桜残る桜も散る桜」で「散って行く桜があれば、未だ美しく咲き放っている桜もある。しかし、結局どちらも最終的には散る」ということですが、あれだけ満開に咲き誇る桜がいとも簡単に消えて行き、そしてまた五月の新緑を迎え次の春に備えてエネルギーを蓄えて行きます(※1)。
此の二つの詩のどちらからも、毎年変わらず咲いて行く此の自然というものは正に悠久の世界を奏で我々人間に永遠の命をある意味で示している、という一種の造化(というか天)の偉大さを感じざるを得ません。
それと共に、此の両句とも東洋に伝統的にある無常観を表したものであり、先哲は此の世の儚さを感慨し人間の命が如何に儚いものであるか、ということをある意味詠っているわけです。
人生儚しという感慨を抱き、「我々は一体何を為すべきか」「自分として如何にすべきか」という思いを、何時も此の時節に私は新たにしています。
すなわち一つは、森信三先生が唱えた「人生二度なし」という偉大な真理、此の二度とない人生を悔いなく終わらねばという気持ち、といったものを此の時節になるとより一層強く常に自分に言い聞かせています。
もう一つは、上記とも関係したことではありますが「惜陰(時間を惜しむということ)」ということで、此の一日24時間という誰にも平等に与えられている時間を如何に無駄なく如何に効率的に使い得るかが大事だ、という感を何時も新たにしています(※2)。
寿命が延びているということは事実ですし、医学においてもまた日進月歩の発展を遂げて行っているのも事実であって、いよいよiPS細胞(新型万能細胞)のような革新的なものが難病治療にどんどんと生かされようとしています。
そうした取り組みは大いに結構なことだと思う一方、寿命が伸びたとしてもやはり人生の旬の時間というのは何時の時代も限られているもので、此の旬の時間を如何に大事に過ごすかによって全てが決まる、と言っても過言ではないと思います。
此の旬の時間、つまり人生の一つの賞味期限であって最も美味しい食べ頃と言い換えても良いかもしれません。私はこの二つすなわち「人生二度なし」及び「惜陰」ということについての覚悟を新たにしながら今の時節を過ごしています。

参考
※1:2008年4月1日北尾吉孝日記『散る桜残る桜も散る桜
※2:2012年12月11日北尾吉孝日記『志と覚悟~人生の時間を如何に使って行くべきか~




 

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