北尾吉孝日記

この記事をシェアする

ITmedia エグゼクティブに『「結果を出す社員」と「ダメ社員」の差はほんのわずか』という先々月23日付の記事があり、その差は「習慣の違い」であるとして「できる社員は質問でチャンスを広げ、ダメ社員は詰まらせる」等の「ヒント」が紹介されています。
私見を述べるならば、先月21日にも『大器晩成、小器夙成』というブログを書きましたが、人の人生の一時期や一つの業績だけを捉えて、何がダメで何がダメではないかという結論を下すのは、中々難しいことではないかと思います。
司馬温公(司馬光)の『資治通鑑(しじつがん)』には、「才徳全尽、之を聖人といい、才徳兼亡、之を愚人という。徳、才に勝つ、之を君子といい、才、徳に勝つ、之を小人という(才と徳が完全なる調和をもって大きな発達をしているのは聖人である。反対にこれが貧弱なのは愚人である。およそ才が徳に勝てるものは小人といい、これに反して徳が才に勝れているものは君子という)」という言葉があります(※1)。
才と徳を見て「聖人」「君子」「小人」「愚人」と四つに分けているわけですが、徳の高い人間というのは、その人ひとりだけの成果では計り得ない部分があるというふうに私は考えています。
即ち、その人を支えようとその人の周りにどれだけの人が集まってくるかが関わってくるということであって、『論語』の「里仁第四の二十五」でも「徳は孤(こ)ならず。必ず隣(となり)あり(徳のある人は決して孤独ではなく、必ず志の同じ人がいるもの)」とあるように、自分自身が浅学菲才であったとしても、徳を身に付けておけば周りに同じような徳性の高い優秀な人が集まってくるわけです(※2)。
そういう意味で言うと、その人だけを見て「ダメ社員」と判断するのか、あるいは御客様や上司・同僚等々も全て含め、その人の周りの人がどれだけその人を支えようとしているのかまで見るのかによって、結局長い目で見た時に世間的評価においてダメとされていた人がダメではなかったということにもなるのだろうと思います。
従って率直に申し上げるならば、上記記事で示されている「ダメ社員」か否かの考え方というのは、非常に浅薄な物の見方ではないかと思うのは私だけでしょうか。

参考
※1:2009年12月22日『安岡正篤ノート』(致知出版社)
※2:2012年4月19日北尾吉孝日記『起業を志す方へ~人間学の重要性~




 

(任意/公開)
(任意/非公開)



Copyright © SBI Holdings, inc. All rights reserved.