北尾吉孝日記

『敬と恥』

2013年4月11日 15:21
この記事をシェアする

一ヶ月前に『人物をつくる3つの要諦』というブログでも述べた通り、安岡正篤先生は「恥」ということを言われますが、先生は恥という言葉だけでなく何時もその対として「敬」ということも言われます。
自分より優れた人間を見た時にその人を敬する心を持つということ、そして同時に自分がその人間より劣っているということに恥ずる心を持つということ、此の「敬と恥」というのは敬があるからある意味恥があるというふうに言えるものです(※1)。
そして時に恥じ入るようなことがあれば、その人が正に発奮し頑張ろうと素直に思うことで、大きく言えば人類をあらゆる面でより良きものにさせて行く一つの原動力になるものだと言えます。
例えば、中国というのはあれ程の公害を発生させ世界中に撒き散らしているわけですが、本来であれば何一つ世界全体のことを考えてなかったというふうに、国としても人としても恥じ入らねばなりません。
そうして公害問題を恥じ入るというところから、中国は過去日本が60年代・70年代前半の高度経済成長期に如何なる対策に取り組んだのか、といった歴史を今一度振り返って勉強、反省し、自国も同じように高度成長に伴う様々な公害問題に処して行くというふうにしなければなりません。
しかしながら実際は、厳格なネット検閲体制等を敷き中国共産党にとって少しでもネガティブな情報は全て統制して行くということばかりをしているわけで、国というのはそういうやり方で決して治まるものではなく、やはりどこかで可笑しくなって行くことになると思います(※2)。
また桁違いの賄賂を受け取って大儲けしていた人が政府高官の中にいたということについても大いに恥じ入らなければなりません。『十八史略』にもあるように、先ず以て中国は「天知る、地知る、子知る、我知る(天が見て知っている、地も見て知っている、君自身が知っている、私も知っている。誰も知らないと考えてはいけない)」という精神を、もう一度取り戻さねばなりません。国のレベルであれ隠蔽するというのではなく恥じ入って治すということこそが、私は一番大事なことではないかと思います(※3)。
安岡先生は指導者に求められる三つの恥として、「親孝行をしない」「優秀な人材を活用しない」「人のために尽す徳業がない」を挙げておられ、此の事はそれなりに皆尤もなことだと思います(※4)。
「親孝行をしない」ということで言えば、『孝経』の中にも「孝は徳の本なり(親孝行というのは全ての道徳の根本である)」とありますが、自分の親を愛せない者がどうして妻を愛したり子供を愛したり出来るのかということです。まして他人おいてをやでしょう(※5)。
これまでも当ブログで述べてきた通り、私は理不尽な虐待を受けた子供達を何とかしたいとの思いからSBI子ども希望財団や慈徳院を創り、そこでの様々な活動を通じて虐待された子供達の状況を粒さに見ていますが、偏に言えることは自分の親から愛されていなかった人が自分の子供も自分にされたと同じように虐待しているケースが結構多いということです。
親が本来愛すべきものを愛していないが故、そういう状況が生じてきている側面も色濃くあるわけで、それが一つの大きな問題として今出てきているように思います。
そしてまた片方では、子供の方もそれ程悪い人間ではないのですが、ずっと親の介護を続ける中で介護に疲れ切り、親に対して死に追いやるような暴力行為を働いたり、虐待をしたりするといったことが随分話題になり始めています。
やはりこうしたことは本当に恥じ入る行為であるというふうに、教育と躾の中で道徳として教えて行かれねば、こうした問題は何時まで経っても解決せず常に発生し得ると思いますし、今日でも大きな問題として現出しているのだと思います。

参考
※1:2013年3月19日北尾吉孝日記『人物をつくる3つの要諦
※2:2011年11月25日北尾吉孝日記『中国民主化リスク
※3:2009年12月22日『安岡正篤ノート』(致知出版社)
※4:2006年6月1日「入門・安岡正篤の帝王学 解説 武田鏡村
※5:2013年1月21日北尾吉孝日記『郷ひろみさんの結婚披露宴に出席して




 

(任意/公開)
(任意/非公開)

  • 小
  • 中
  • 大



Copyright © SBI Holdings, inc. All rights reserved.