北尾吉孝日記

『武と文』

2013年4月17日 13:34
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『孫子』にしても『六韜・三略』にしても兵法で有名な書物ではありますが、だからと言って「武」ということを両書が推奨しているわけではなく、共に「戦わずして勝つ」ということを非常に大事にしています。
そもそも武力の武という字は「矛(戈)」と「止」という二字から成っており、東洋兵法の基本的な考え方といったものは「矛を止める」というところにあります。
日本周辺の安全保障環境を見れば、中国は昨日2年ぶりに公表した国防白書で尖閣問題を巡って日本を名指しで非難し、アジア開発銀行からは「一触即発の領有権争い」と指摘されるような状況です(※1/※2)。
また御存知のように北朝鮮は、相も変わらず極めて挑発的な言動を繰り返し正に瀬戸際の状況にきているわけで、此の矛を止めるという東洋古来の伝統的な兵法の考え方が今両国に残っていることを切に望むような状況です。
私は神戸高等学校を卒業したのですが、そこでは旧制第一神戸中学校(神戸一中)以来の伝統で「文武両道」という標語のようなものがありました(※3)。
武というのは基本的に暴力の行使で、文というのはある意味平和の象徴でもあるわけですが、当時は此の武と文を単純にスポーツと勉学に相当するようなものとして私は受け取っていました。
つまり此の文武両道という考え方は、所謂正反合の世界である意味対立を超克した形で生まれてきた車の両輪のようなものとして解釈していたわけですが、ある時本を読んでいてそれが間違いであることに気付かされました。
即ち、様々な矛盾に満ち邪悪なものが色々内包されている此の人間の現実世界において、我々は生活の中である意味そういうものと戦って行かねばならないわけですが、そうやって戦いながら一歩一歩理想に近づけて行くのが武だということを学んだのです。
此の武とは、そうした世界の中から文化の華を開いて行く努力、あるいは実践力と言っても良く正に矛を止めるということなのですが、そういう意味で言うと武と文は対立的に捉えるような概念ではなく、武が本体で文がある意味その結果として出てくるものというふうに今私は認識しています。
何れにせよ冒頭で述べたように、こうした武に対する東洋の基本概念の本家本元である中国、及びその中国から非常に大きな影響を様々な意味で受け続けてきた北朝鮮は、上述したことをよく考えて再度認識し、一刻も早く矛を止めて貰いたいと思う次第です。

参考
※1:2013年4月16日朝日新聞『中国が国防白書で日本非難 尖閣「もめ事起こした」
※2:2013年4月9日Yomiuri Online「アジア成長率、13年は6・6%に…開発銀
※3:Wikipedia「兵庫県立神戸高等学校




 

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