北尾吉孝日記

『機械と人間』

2013年5月13日 16:08
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先月18日の日経ビジネスオンラインに『「機械との競争」に人は完敗している』というエリック・ブリニョルフソンMIT教授のインタビュー記事がありましたが、此の機械と人間という観点からの問題は古くから様々議論されてきたことです。
機械文明というのが確実に進歩して行っている一方で、精神文明というのは進歩して行かないわけですが、なぜ進歩していかないかと言えば、人間には死というものがあるからです。
つまりは、機械文明が人類社会誕生して以来今日まで退歩せず途切れなく進んできたのに対し、如何に崇高な精神性を帯びた人も何れは死を迎えねばならず、また偉大な子孫を残した人も皆地上から消えさらねばならないわけで、精神文明についてはその全てが確実に受け継がれ日々発展させて行けるかと言うと、死によって一度途切れてしまうものなのです。
従って、精神文明というのは退歩が往々にしてあり得、人間死すべきものであるということが故の一つのギャップが機械文明との間に生まれて行くことから、機械文明がどんどん進歩し此のギャップが拡大して行く結果として、様々な問題を人間社会に生んで行くことになります。
2年程前に株式会社致知出版社から上梓した拙著『森信三に学ぶ人間力』の第三部・第一章『「全一学」-我々日本人の立場から考えた世界観と人生観を統一したあるべき哲学』でも此の辺りに関して指摘しており、森信三先生が言われる「人類が当面しつつある機械文明の特質」を述べておきました(文末参照)。
例えば、嘗てイギリスで産業革命時に「ラッダイト運動」すなわち機械により職が奪われるとして機械破壊運動が起こったということは、凡そ1年前のブログ『思考の三原則~原発問題の考え方~』でも御紹介した通りです。
また凡そ2年半前、『国家我・組織我について・・・北方領土問題、尖閣諸島問題、イラク戦争』というブログにも書いたように、個人の場合であれば人ひとりを殺害すれば殺人罪が適用されますが、国家においては誤った大義名分の下で行った戦争により人が殺されても誰も罰せられませんし、御負けに大量殺戮により勲章まで貰えるといった正に国家我・組織我というようなものがずっと蔓延り続けています。
このように戦争という悲劇が太古の昔より変わらず起こってきている中で、昔であれば斧や弓矢で人を殺していた戦いが、技術進歩の結果として核兵器や化学兵器等により、益々確実に多くの対象を瞬時に殺戮することが出来る世界になって行っています。
他方、精神文明について考えてみれば、幾度の大戦を経て多数の犠牲者を生み不戦の誓いを掲げながら、人類は戦争を否定するといったことが全くないままに今日まできているわけで、戦争などは精神性が如何に進歩していないかということの一つの典型例と言えましょう。
国際連盟を創設したにも拘らず第二次世界大戦は勃発し、後に国際連合を創ったものの「本当にこれで大丈夫なのか?」という問題が人類には常に付き纏っており、之は究極的には人間の持つ死ということからきているのではないかと思います。
そしてまた、こうした機械文明と精神文明との間の巨大なギャップは、森先生が述べておられるように教育的な営為により解決して行くしかない、というふうに私自身も感じています。

 
≪『森信三に学ぶ人間力』より抜粋『「全一学」の今日的意義』≫
 森先生は人類が当面しつつある機械文明の特質を次のように述べられています。

 第一には、それは自己の退歩を知らぬ無限の前進をその根本性格とするといえよう。だが無限に進歩して退歩を知らぬということは、一見如何にも結構なことのように見えながら、実はそのこと自体のうちに、すでに根源的な悲劇性を内包していることを知らねばなるまい。(全集続篇第四巻191頁)
 科学技術がどんどん進歩した結果として原水爆ができました。まさにそれは根源的な悲劇性に繋がっています。また、科学技術が進歩した結果として世界中の国が繁栄してきましたが、一方では世界中に公害が撒き散らされ、世界中で温暖化現象が起こり、生物の多様性が失われるようになりました(中略)。

 第二には、それのもつ無限の複雑化と共に、さらにその反面、無限の画一化を免れぬということであり、それは冷厳にしてかつ巨大な支配力として、今や我われ人類の上に君臨せんとしつつあるのである。(全集続篇第四巻191頁)
 世の中のコンピュータリゼーションを想起すればこれは明白でしょう。利便性が向上する一方で社会はブラックボックス化し、知らず知らずのうちに我々はコンピュータ化する社会に組み込まれていっています。

 第三には、それのもつ非人間的な非情性が指摘せられるであろう。しかもこの第三の非人間的非情性こそは、如上二種の特質から結果する不可避の必然として、自然科学的な機械文明のもつ最根本的な性格といってよく、機械文明の弊としての我われ人間の自己疎外現象も、結局はこの謂いに他ならぬといってよい。(全集続篇第四巻191頁)
 非人間的な非情性というのは人間疎外と言い換えてもいいかもしれません。これは機械文明が進展した当初からずっといわれ続けていることです。




 

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