北尾吉孝日記

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今月2日の日経新聞記事『孔子は聖人ではなかった? 「論語」の最新解釈』には、『中国の古典「論語」がビジネス・歴史専門誌で相次ぎ特集されている』として、「先行き不透明な時代の指針として論語に人気が集まる」というふうに、昨今の『論語』ブームを評している箇所がありました。
昨年5月と8月に私は2冊の『論語』本、『ビジネスに活かす「論語」』及び『仕事の迷いにはすべて「論語」が答えてくれる』を上梓し、此のFacebookにおいても時々関連投稿を行ったわけですが、本ブログでは以下両著で述べた事柄を主に『論語』に対する私見を申し上げたいと思います。
先ず二十篇約五百章の章句から成り立つ『論語』とは如何なるものかということですが、今から約2500年前の中国の思想家である孔子の言や、孔子と弟子との対話等を孔子の没後に編集したものであり、孔子の思想を体系的に述べたものではありません。
各篇とも非常に短い章句から成り立っていて夫々の章句が独立しており、己の修養について述べた章句の直ぐ後に国の治め方について述べた章句が続いたりするといったものですが、私は之こそが『論語』の魅力であるというふうに思っています。
歴史を振り返って見れば、『論語』という書物はある時には非常に熱心に読まれ、また逆に殆ど廃れてしまったかのように思われる時代もあったわけですが、多くの人が『論語』を読んでいるというのは、一つには為政者が国を治める政治の道具として『論語』を使ったという理由があります。
もう一つ『論語』が読まれる別の理由として、例えば物質主義や拝金主義あるいは社会道徳の乱れといった時代の潮流に対するアンチテーゼとして、『論語』の教えに光が当てられ自然発生的にブームが起こる場合があり、之は正に『論語』でいう「中庸」あるいは「中」を追求する動き、即ち逆方向への振り子の動きというものです。
では、此の『論語』が何ゆえに時代を超えて人々から高い支持を受けているのか言えば、その一番の理由は何時の時代にも通用する普遍性を有した大切な考え方が簡潔で本質的な言葉に凝縮して表現されており、過去こういう状況で孔子がこう言ったということを現代に当て嵌めて考え得るということではないかと私は考えています。
つまり『論語』の中には、自分自身のビジネス人生に迷った時、上司との関係や部下指導に迷った時、会社の在り方や国や社会の在り方について考える時など、あらゆる問題について思いを巡らせる時に、そのヒントとなる言葉が書かれており、そして自分が一歩を踏み出すべき時に背中を押してくれる一言が書かれているというわけです。
冒頭の日経新聞記事は『「論語」の最新解釈』と題されており、そうした解釈本を読むのも結構なことで私自身も沢山読んではいますが、注意すべきは結局のところ解釈は所詮解釈の域を出ず、その解釈本を書いた人の力量によるということです。
従って、ある解釈をそのまま受け取るとか、ある解釈の真偽は如何程かといったことよりも、自分の経験が増すに連れ書を読む深さというものは変化してくるわけですから、『論語』そのものに挑戦し何度も繰り返して読む中で、時々に新しい発見をして行けば良いのだろうと私は思っています。
唯、「『論語』読みの『論語』知らず」という言葉がありますが、『論語』の章句を無闇矢鱈に丸暗記し知識として理解するだけでは駄目であって、学んだことを自分の方へと引き寄せて考え、自分の心の中で『論語』の言葉をよく咀嚼して理解し、そして血肉化して実践して行かなければなりません。
虎関禅師が「古教、心を照らす。心、古教を照らす」と言われたように、正に自分の状況に照らしながら主体的に『論語』を読んで行くということであり、沢山の章句の中からその時点で一番ぴたっとくる言葉を噛み締めて、それを日常生活の中で活かして行くということが大事なのだと思います。
このような自分を励まし行動を促すような片言隻句をどれだけ持っているかにより、その人の人生は大きく変わって行くと思われ、好きな片言隻句が多ければ多い程、人生の転機に或いは絶体絶命の危機を迎えた時に、自分を鼓舞するような言葉がパッと頭の中に浮かんでき、自分を励ましてくれたり物事を決断する上での指針となったりするでしょう。
『論語』でも随所で語られている実行・実践の重要性ということに留意し、人生や仕事等の在り方についてのエッセンスがぎゅっと詰まっている『論語』の中から、何か一つでも心に残ったことを正しく役立てて行くことが出来たならば、人生は輝きに満ちたものになるはずです。




 

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