北尾吉孝日記

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私自身、小沢一郎という政治家に割合期待していた時があり、当ブログにおいても時々その旨を述べてきたわけですが、今彼については結局運が尽きたのだというふうに思っています。
小沢氏というのは此の20年間、「最大派閥・経世会の分裂(九二年)、細川護熙政権の成立(九三年)、その崩壊(九四年)、新進党の解体(九七年)、自自公連立政権成立(九九年)、政権離脱(二〇〇〇年)、民主党との合体(〇三年)、福田康夫政権との大連立騒動(〇七年)、そして、民主党政権樹立(〇九年)とその後の与党内政局の数々」と、常に日本政治を動かす中心にいた人でした(※1)。
民主党という二大政党の一角を担い得る政権を樹立したかというところにきて野党のみならず与党内からも「小沢降ろし」の声が起ってきたわけですが、之は正に王陽明の至言「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」ということなのだと思います(※2)。
即ち、物事の崩壊は何時も内から起こるのであって、当時内の賊である仙谷由人氏を始めとした民主党一部が結託し「小沢起訴」キャンペーンを張り、そこにマスコミも一緒になって「小沢葬り体制」とも言い得るようなものを形成し、そして11年1月末の強制起訴で彼はある意味政治生命を奪われた形になったのです(※3)。
最終的に小沢氏は無罪を勝ち得たものの、10年10月に検察審査会が2度目の「起訴議決」を下す前に行われた民主党代表選というタイミングにおいて、内からも彼が代表にならぬよう上手い具合に悪い噂が流され結局菅氏に負けてしまったわけですが、あの時点で政治家・小沢一郎は終わったのであろうと私は思っています(※4)。
今回の参院選においても、各党代表が各地で皆演説し新聞等で顔写真を出している中、「生活の党」代表の小沢氏のみが極端に露出が少ないという状況ですが、小沢氏のそういう部分こそが「なぜ代表なのに常に前に出て来て、正々堂々と正論を吐かないのだろう」とか、「後ろでごちゃごちゃやるだけで、何をやっているのか分からない」とか、「自分が出て行くとマイナスだと思うなら、もう政界から引退したらどうか」といった国民の声を喚起しているのだと思います。
現在「生活の党」は衆参計15名の勢力で「民主党を割った時の衆参七十人に比べると、凄まじい減り方」となっているわけですが、そもそも前回選挙で惨敗したのは、日本の将来にとって重要な政策課題はエネルギー政策以外にも山程あるということを全く認識出来ていなかった嘉田由紀子滋賀県知事とくっ付いて彼女を党首にし、そして指導力が発揮されることなく馬鹿の一つ覚えのように「卒原発」しか訴えなかったということが大きかったのだと思います(※1/※5)。
本来的にあの時小沢氏は、官やマスコミを含めた民主党内外の変な策謀に引っ掛かったという状況で無罪になりこれから同情票を集めて行かねばならないタイミングであったわけですが、彼はイメージ的な問題等々を色々と考慮したのか代表として前面に立って選挙戦に臨むことなく、嘉田氏を出すことで全てを駄目にしてしまいました。
そして結局のところ嘉田氏とも別れるといった具合であり、此の辺の顛末というのは小沢氏が何をやっているのか全く分からないといった部分が出てしまったということで、その後小沢支持派が多数離れて行った主因になったのだろうと思いますし、仮にあの時彼が必死になって持論を展開し有権者に対して誠心誠意訴え掛けていたならば、今15議席に激減するなどということはなかったと思います。
今回の参院選においても、「生活の党」は0か1程度しか議席を確保出来ないのではないかというふうに見ています。率直に申し上げるならば小沢氏の運は最早尽きており、引退すべき時にきているのだろうというふうに思っています。

参考
※1:2013年7月号選択『小沢一郎とは何だったのか
※2:Google ブックス『日本人の底力: 世界は「わが民族の叡智」を求めている
※3:2011年8月23日北尾吉孝日記『民主党代表選と小沢一郎
※4:2012年7月3日北尾吉孝日記『小沢一郎の離党と今後の政局について
※5:2012年12月20日北尾吉孝日記『衆院選に関する所感と安倍政権への期待





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  1. いつもながらすばらしい記事です。
    尊敬しています。
    益々のご活躍を祈念しております。

  2. >たかあや 様
    有難う御座います。



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