北尾吉孝日記

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今月6日の日経新聞記事「日本流サービス高評価 セブンイレブンやトヨタ」では、アジアブランド調査において『日本流の「もてなし」に評価が集まっている』とする一方、「欧米勢などに対抗するにはデザインや製品の革新性に磨きをかけることが必要だ」と書かれていますが、歴史的に見ても日本人は大変素晴らしいデザイン能力を有していると私は思っています。
それは例えば、俵屋宗達に私淑した尾形光琳の美術品などを見れば一目瞭然というもので、「琳派」と称されるあの「紅白梅図屏風」を見ても尚、日本人のデザイン性の欠如を指摘することが出来るでしょうか。
あるいは、日本の着物ほど自然のデザインが凝縮されている柄を使ったものはなく、中国の皇帝の着物はと言えば龍ばかりが取り入れられているわけで、四季折々そして色彩豊かなものを全て絹糸や金糸、銀糸で織って作っている、あの絶妙な加工技術とデザインは日本人のセンスそのものではないでしょうか。
更には生け花一つをとって見ても、西洋のフラワーアレンジメントとは違って、部屋全体の中で如何なる役割を演じているかというところまで考えながら、生け花を作っている日本人の感性は正に素晴らしいという一言に尽きるのだと思います。
安岡正篤先生も『いかに生くべきか』(致知出版社)の中で「直観の伝えるものは生きた世界であるが、概念の示すところは抽象的構成であるから、仮定的一面的たるを免れない」と言われているように、大体が東洋的直観というのは西洋的概念とは全く違っています。
例えば、一週間程前に私はある講演で「直観力とは何か、それをどう磨くのか」というタイトルでスピーチをしましたが、その中で上島鬼貫の「行水の捨てどころなし虫の声」という俳句を例に挙げて一つ話をしました。
此の句を西洋人が翻訳をすると、「この風呂の水を何処へ流そうか?何となれば到る処に虫が鳴いているから」となって確かにロジカルではありますが、どちらかと言うと水の方に焦点が当てられていて虫の命など何も伝わってきません。
他方で東洋人というのは直観を重視し、此の「行水の捨てどころなし」という散々鳴いている虫の所に焦点を当てて、その直観に訴えその虫の命が我々に伝わってくるというわけで、之こそが東洋的直観と西洋的概念の違いを表していると言えましょう。
更に芭蕉の名句よりもう一つ、「古池や蛙飛び込む水の音」と言ったら此の蛙が躍動感を持って水の中へパシャーンと飛び込む情景、生きているという生命が瞼に浮かんでくるものですが、「一匹の蛙が池に飛び込み、ポションという音がして水面が波立っています」というふうに英訳したならば、全く情感が伝わってこず生命の躍動が感じられないということです。
このように歴史的に見ても、東洋人とり分け日本人の直観というものは優れて発達しているわけですから、その直観力を大いに伸ばし活用すれば、西洋人が驚くようなデザインは幾つでも出来て行くのです。
先々月18日のブログ『速くて雑な仕事、遅くて丁寧な仕事』でも、外国人が日本のデパートでの買物の包装を“It’s neat.”というふうに評価したりすることを例に述べましたが、日本人が素晴らしいデザイン力を持っているのは明らかだということです。




 

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