北尾吉孝日記

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先月21日の日経ビジネスオンラインに『30~40代、「友達ゼロ」は人としてダメか』という諸富祥彦・明治大学文学部教授のインタビュー記事が載っていましたが、此の友との交わり方に関しては私も『交友というもの』(2012年9月27日)というブログを書いたことがあります。
その中で私は、「君子の交わりは淡きこと水の如し」という『荘子』の言葉や「交友を択ぶ(択交友:友を選んでくだらない人間とは付き合わない)」という『啓発録』の一項目等を挙げ、交友というものを考える上で大事なことを指摘しました。
「犬はよく吠ゆるを以って良とせず、人はよく話すを以って賢とせず」という荘子の言に準えて私見を述べるとすれば、友達の数などというものは「多きを以って良しとせず、少なきを以って悪しとせず」だと考えます(※1)。
要はどんな友達を持っているかが大事なのであって、例えば嘗て『論語』の「公冶長(こうやちょう)第五の十七」にある「久しくして之れを敬す」という孔子の言葉をツイートしましたが、正に「久敬の友」というような人を友にせねばなりません(※2)。
即ち、「交友の道はとかくなれるに従って、ぞんざいになりがち」ですが「長くつき合って、いっそう尊敬し合うあいだがらであ」れる友を持つべきだということで、わいわいがやがやするだけの遊ぶ時だけの友達が何人いても余り意味はないでしょう(※2)。
そしてまた、3年前にも此の忘年会シーズンに書いた『忘年と新年の意味』というブログで述べた通り、友達と言うと年齢的に同じような人を割合想像しがちですが、正に世代を超えた「忘年の交」という『後漢書』の言葉、つまりは歳の違いを忘れて親しくするような「忘年の契り」を交わした「忘年の友」を持つことも大事だと思います。
忘年会とは、一年の出来事をパッと全て忘れて御酒を飲み交わすというように、「年忘(としわすれ)」として誤認している人が大多数かと思われますが、「年齢を忘れる」という「忘年」の本当の意味を正しく認識し、世代を超えた友情を築くのが本来の姿だということは心に留めておくべきです(※3)。
以上述べてきたように、友達の多少は問題でなく数だけ多くても何の意味も為さないということであって、私としては「久敬の友」あるいは「忘年の友」こそ少なくても、持てれば良いと思っています。

参考
※1:名言ソーシャルネットワークFesh「荘子の名言
※2:2010年3月16日yoshitaka_kitao – Twitter
※3:2010年12月20日北尾吉孝日記『忘年と新年の意味




 

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