北尾吉孝日記

この記事をシェアする

日経Bizアカデミーの「相手をほめて喜ばれる人、ほめても嫌われる人」(14年1月15日)という記事において、筆者は褒められるシチュエーションとして「直接ほめ(面と向かって、直接ほめられる)」と「間接ほめ(他人を介して、間接的にほめられる)」という二つが主に考えられると述べ、その上で『よりうれしいのは「間接ほめ」でしょう(中略)から、最近では、「ほめ言葉」を送りたいという人には、もっぱら私は「間接ほめ」を使っています』と書いています。
此の人が言う内容を全面的に否定するものではありませんが、私としては人を介するか否かの問題ではないと基本的に考えており、上記からは何かわざとらしさというものが感じられてなりません。
人を褒めるというのは、「貴方の考えていることは本当に素晴らしいね」とか「あぁ、貴方の行いは何て立派なんだ」といった形で、そこにわざとらしさが一切なく純粋な気持ちを吐露するものです。
昔から「口先巧みにへつらう、心のよこしまな人」を「佞人(ねいじん)」と言いますが、孔子はそういう媚び諂う者を物凄く嫌っていて、『論語』の中には「巧言は徳を乱る・・・美辞麗句は徳行を損なう」(衛霊公第十五の二十七)とか「巧言令色、鮮(すく)なし仁・・・口先が巧みで角のない表情をする者に、誠実な人間は殆どいない」(陽貨第十七の十七)、あるいは「巧言、令色、足恭(すうきょう)なるは、左丘明(さきゅうめい)これを恥ず、丘も亦(また)これを恥ず・・・人に対して御世辞を並べ、上辺の愛嬌を振り撒き、過ぎた恭(うやうや)しさを示すのは恥ずべきことである」(公冶長第五の二十五)という彼の言葉があります(※1/※2)。
要するに、余りに謙(へりくだ)る人も褒め殺そうとする人も過度に恭しい人も、ある意味わざとらしくて皆ダメだという話であり、人を褒めるにしても「直接ほめ」であろうが「間接ほめ」であろうが兎に角ほめ過ぎることなく、相手に対して覚えた素晴らしいという気持ちを素直に吐露し、そしてまた、その人の何が実際に素晴らしく感じられ褒めているのかという真意を述べれば、それで良いのだろうと思います。
従って、私の場合は「本人に言うも良し、他人に言うも良し」というスタンスで、その時その時に感じられる純粋な気持ちがその時に自然に出たら良いと考えていますから、如何なる方法で褒めたら相手はより喜ぶのかという類を考えること自体、少し違っているのではないかと思います。

参考
※1:2007年6月1日北尾吉孝日記「著書について
※2:2013年10月16日北尾吉孝日記『巧言、令色、足恭なるを恥ず




 

(任意/公開)
(任意/非公開)



Copyright © SBI Holdings, inc. All rights reserved.