北尾吉孝日記

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育児ということでは、当ブログでも『子を育てる』(12年11月22日)や『子供の育て方~高いものを豊富に与えることの是非~』(13年7月19日)等で述べたことがありますが、1ヶ月程前の毎日新聞社説に「スマホと育児」というのがありました。
当該論説においては、先ず「乳幼児期には成長のために、視覚だけでなく嗅覚や触覚など身体の五感をフルに使うことが必要で、スマホで習慣的に赤ちゃんをあやすと成長をゆがめかねない」という日本小児科医会理事・内海裕美さんの警鐘が紹介され、その後に「一方で、子供向けのアプリが多く開発されている。(中略)米国では子供向けのテレビ教育番組が言語能力の発達を促すという研究もある。家庭環境や成長具合を考慮し、アプリを選別して、保護者が自覚的に電子メディアを使うことが必要だ」とする東大准教授・山内祐平さんの指摘が載っています。
世の中におけるスマホを介したコミュニケーションの急激な浸透状況を思えば、スマホによる育児が段々と普及して行くのも時代の流れと言えば流れなのかもしれませんが、率直に申し上げてどちらのやり方が正しいのかは私にもよく分かりません。
しかしながら、「過ぎたるは猶(なお)及ばざるがごとし」(先進第十一の十六)と孔子が言うように、何彼に付けて度を越してしまうということは良くないのだろうと思いますから、やはり育児においても「中庸」のスタイルというのが非常に大事ではないかと考えます(※1)。
「中庸の徳たるや、其れ至れるかな・・・中庸は道徳の規範として、最高至上である」(雍也第六の二十九)という章句を当ブログでも過去何度か御紹介したことがありますが、此の中庸という概念は『論語』の中でも非常に重要なキーワードで、平たく言えばバランスのことを指しています(※2)。
拙著『ビジネスに活かす「論語」』(致知出版社)の「プロローグ」において、私は「バランスの中から調和が生まれてくる」及び「バランスを欠いた世界は長続きしない」ということを書きましたが、「スマホと育児」に限らず此の「デジタル情報革命」が進行する世にあって中庸のスタイルを取るというのは、結局のところデジタルの世界だけでなくアナログとの境とのバランスを取って行くということだと私は理解しています。
即ち、親と話をするにしても電話やメール以外ではほぼ会話をしないとか、あるいは友達との会話においても専らチャット等によりオンライン上でその殆どを済ませるといった類ではなく、こうした通信ネットワークにおけるコミュニケーションに加えて、意識的にその人に実際会って顔を向け合って直接話をするということも、やはり重要なのだろうと思っています。
ちなみに私の場合、メールでのカンバセーションを余り行わないのですが、その理由の一つは話している中で喧嘩をしたとしても速やかに訂正ができ誤解が解けますが、それとは対照的にメールというのは様々な事柄において誤解を生む種になったりしますし、書き物として一度残りますからすぐに訂正するということが難しかったりするからです。
それからまた、人情の機微のようなものはメールの文面の中では表れてこないところがあり、それは実際に会って一緒に時間を過ごす中で表れてくるものですから、こういう時代においては尚の事、メール等のコミュニケーション手段を減らしface-to-faceの時間をもう少し持つようにする、ということがあっても良いのではないかと私は考えますが、皆さんは本ブログを読まれ如何なる見解を持たれたでしょうか。

参考
※1:2013年10月16日北尾吉孝日記『巧言、令色、足恭なるを恥ず
※2:2012年8月10日『仕事の迷いにはすべて「論語」が答えてくれる』(朝日新聞出版)




 

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