北尾吉孝日記

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先週火曜日、『政府の教育再生実行会議(座長・鎌田薫早稲田大総長)は(中略)昨年秋に始めた「6・3・3・4」の学制見直し議論の一環として、この日は9年間の義務教育期間の妥当性をテーマに意見交換した』ようですが、現行の「6・3・3・4」制ということに関して皆さんは如何なる見解を御持ちでしょうか。
此の「6・3・3・4」制に限らず、私は「○○でなければいけない」といった画一的なものが昔から好きではなく、ベースを「6・3・3・4」にするのはそれはそれで良いとしても、飛び級等がどんどん出来る制度設計にすべきだと考えています。
例えば、先週木曜日のロイター記事でも『米アリゾナ州に住む3歳の女の子が、人口上位2%の知能指数(IQ)を持つ人だけが入会できる国際団体「MENSA(メンサ)」のメンバーに迎えられた。女の子のIQは160を超えるという。(中略)父親のイアンさんがテレビ局に答えたところでは、アレクシスちゃんはわずか1歳の時に、就寝時に読み聞かせた物語を次の日に正確に暗唱できたという』ことが紹介されていましたが、そうした子供がいる位ですから「6・3・3・4」といった世界で、画一的な教育をずっと行うというのは間違いだろうと思います。
嘗て『医学教育の在り方』(09年9月11日)というブログの中で、私は「中高での教育では英国社数理の5教科に重点を置いた現行方式を廃止し、個々人の能力を徹底的に引き出して更に磨きを掛けていくことに重点を置いた教育内容に改めるべきであると思っています。語学が得意な人は朝から晩まで語学を勉強すれば良いし、数学が得意な人は朝から晩まで数学を勉強すれば良いし、体操が得意な人は朝から晩まで体操をすれば良い。それこそがまさに今の中国における教育の形であり、またユダヤ人の教育についても昔から英才教育であります。彼らは個々人の才能を早く見極めて、その才能に特化した教育を徹底的に行い、様々な分野における天才を養成しています」と述べたことがあります。
即ち、日本の教育制度の現況を見るに、例えば数学で非常に優れている者が何ゆえ古典や漢文等々の他の分野の勉強に時間を費やさねばならないのか、本人が得意分野以外を習いたいと思っていないとすれば本人にとっても苦痛ではないのか、自分の好きなテーマであれば自らの力でどんどん前へ進んで行けるという子供の時間を無駄に使っているのではないか、というふうな気がしています。
従って私の基本的な考え方としては、一芸に秀でた人間を創るべく朝から晩までその分野における高等教育を受けさせれば良いのだろうと思いますし、故に自らその分野を選択しその部分で進級して行けるよう、飛び級が出来るようにすべきだということです。
そしてまた、幾ら一芸で優れていたとしても人間としてバランスが取れていなければ問題でありますから、片方で道徳や人間学といったものは全員に受けさせねばなりません。
何れにしても、「この子の才とは一体何か。この子には如何なる教育が施されるべきか」というところを突き詰めることなく、唯唯画一的に勉強させるというのは誤りであって、これまでの「6・3・3・4」制がどうだといった議論の前に、そうしたことを考えねばならないのではないでしょうか。




 

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