北尾吉孝日記

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人間のキャパシティというのを考えてみるに、それはある意味無限とも言い得るものかもしれませんが、やはり基本的には有限だと私は考えています。
ものを記憶するということを例に言うと、非常に高い記憶力を持つ人がいる一方で、それとは真逆の人もいて人によりその能力は様々ですが、そこに限りがあるという点に違いはありません。
そうした前提の中で、人は「何もかも全てを覚えていて一体何になるのか。そもそもそれは重要なことなのか」と思ってみたり、あるいは「重要な事と重要でない事を峻別し、重要な事だけを覚えていることが大事だ」と考えてみたりして、自分に合った記憶の仕方を意識的・無意識的に有して行くものです。
その一方で、此の人間の脳というのは実に上手く出来ていて、私は1年前にも「死別・失恋・その他諸々の当事者にとっての深い悲しみ、あるいは当事者の周りの人達の大きな悲しみは、時が経つに連れて忘却の彼方とまでは言わずとも、少しずつ脳裏から消えて行き何かの機会に思い出す程度に変わって行く」という、『忘ということ』の素晴らしさについて当ブログで述べました。
最愛の妻の死・夫の死・両親の死・ペットの死等々を、時間の経過と共に忘れることが出来るからこそ人はまた暫くして立ち直り、ある意味で生きていられる部分もあるわけで、仮にそうしたこと全てが忘れられない場合に、大変なことになるのは想像に難くないでしょう。
上記ブログでも述べた通り、造化(万物の創造主であり神であり天)は我々人間に対して、忘れるべきものは自然と忘れて行き、忘れてはいけないものは心の中に残り、少なくとも潜在意識の中から直ぐに顕在化し得るものとして残って行くよう、「忘」という素晴らしい一種の贈り物を与え賜うたというわけです。
従ってそういう意味から逆に考えますと、そもそも人間が忘れるよう出来ているものだとするならば、「必要とされる間、可能な限り長期に亘って、これだけは覚えておこう」というものを自分で作って行かねばなりません。
私自身はこうした考え方に基づきながら、「覚えておくもの、覚えておく必要のないもの」を峻別し、更には今覚えておくことが暫くの間は必要だとか、「長期で必要だと思えるもの、長期では別に必要ないと思えるもの」といった形で記憶するようにしています。
例えば、小学校から中学校そして高校に進学するという時に、勉強した内容の多くはその後の日常生活と関係ないものは忘れるという人が殆どだと思いますが、忘れたからと言ってその後生きて行く上で、それらが必要かと言うと、そんなことはありません。
況して今や、人間より遥かに優れた記憶力を有するコンピューター等を各人が持つという世の中になっており、従来的発想の延長線上において人間に暗記力・記憶力というものは必要とされてはいないでしょう。
ただ現実問題として、暗記とテクニックで高得点を稼ぎ得る英国社数理中心のペーパー試験偏重体制が続く中、学生はテスト前だけは学習内容を覚えておかねば仕方がありませんから、彼らにあってはテスト期間中だけ覚えておけば良いということだろうと思います。
他方で私は、今週火曜日のブログ『「6・3・3・4」制の見直しについて』においても、「私の基本的な考え方としては、一芸に秀でた人間を創るべく朝から晩までその分野における創造的な高等教育を受けさせれば良いのだろうと思いますし、(中略)そしてまた、幾ら一芸で優れていたとしても人間としてバランスが取れていなければ問題でありますから、片方で道徳や人間学といったものは全員に受けさせねばなりません」ということを書きました。
このように学校のテスト期間以外でも、人間としての在るべき態度の問題や生き方の問題の類は、どうしても知っておかねばならず直ぐに忘れてはいけないものであると共に、ちゃんと覚えていられるようになっていますから、そういう意味で言うと天は人間というものを上手く創ってきたということだろうと思います。
最後に上記との関連でもう一つ述べておきますと、拙著『安岡正篤ノート』(致知出版社)の第一章「私の心に残る片言隻句」でも御紹介したように、モンゴル帝国を築いたチンギス・ハーンに重用された耶律楚材(やりつそざい)は、「一利を興(おこ)すは一害を除くにしかず。一事を生(ふ)やすは一事を減らすにしかず」ということ、即ち絶えず問題を省(かえり)みて省(はぶ)くことの大切さ・必要性を説きました。
3年前のブログ『中国古典から見る政治の三要素』において、私は『ドイツの財政学者アドルフ・ワグナーによる「国家経費膨張の原則」というのが昔からありますが、国家経費というのは官僚組織が肥大化する中で常に増加して行きます。(中略)大蔵省や経済産業省といったように昔から官僚組織においては「省」という字が用いられますが、この理由を皆さんはご存知でしょうか。省という字には「省(かえり)みる」という意味と「省(はぶ)く」という意味がありますが、官僚組織というのは常に省みて省くということをして行かなければ、上述したような肥大化に繋がってしまうからなのです。そのことをワーグナーなどが言う前から省という2つの意味を持つ漢字を様々な役所に当て嵌めた中国人の偉大さに私は非常に感心しています。現在、日本の官僚組織が肥大化を続けるのは、この省みて省くということを忘れているからに他ならないというように』指摘したことがあります。
上記した本にも書いたことですが、「一利を興す」には利がありそうなものをどんどん付け加えて行けば良いというものでなく、「一害を除くにしかず」と耶律楚材が言っているのは非常に大事なことだと考えていて、私は経営者として此の言葉を何時も頭に入れています。
また、例えば「これは覚えておかないと。後で必ず見よう」と思い溜めてきたデータやペーパーを1,2年後に振り返って見てみた時に、その時点でどれだけのものが本当にユースフルかと言えば、その殆どが覚えておく意味が無かったものになっていた、という経験をされた人は多くいるように思います。
私としては、省く・捨てる・消すといったことは、留める・溜めるといったことよりも意外と大事だと思っていて、その時点で重要だと考えても、時が経つに連れそれが重要でなくなるといったケースも多々ありますから、詰まらぬことに何時までも捉われることなく、不要なものはどんどん削除・処分して行くべきだと考えています。




 

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