北尾吉孝日記

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大雪が降ったりして寒かった冬が漸く終わり春めいて来ましたが、此の季節は幾つかのことを私に何時も思い出させます(※1)。
第一に、私の執務室がある六本木のホテルオークラやANAホテルの近くの桜花は、ちょうど今日の日差しを受けて五分から六分咲き或いはもっと開くのではないかという感じです。こういう時に、私は『菜根譚』の「花は半開を看(み)、酒は微醺(びくん)に飲む・・・花は五分咲きを見るのがよく、酒はほろ酔い程度に飲むのがいい」という言葉を思い出します。
併せてふっと思い出すのは、良寛の一句「散る桜残る桜も散る桜・・・散って行く桜があれば、未だ美しく咲き放っている桜もある。しかし、結局どちらも最終的には散る」ということで、この句にはこの世の儚さというものが漂います。満開に咲き誇る桜よりも、五分咲きぐらいが丁度いいと私も思っています。
そしてまた、上記したような春めいた状況が非常に良いと言うだけではなく、やはり「春宵(しゅんしょう)一刻、直(あたい)千金・・・春の夜のひとときは、千金もの値打ちがある」という名句も此の季節には思い出します。之は北宗王朝の文豪、蘇軾(そしょく)の「春夜(しゅんや)」という有名な句であります。花の香が漂うおぼろ月夜は、千金ものお金に値するということです。
此の時期また思い出すこととしてもう一つ、状況が非常に上手く行って出世した人や、逆に左遷までとは言わずとも何かもう一つな処遇を受けた人、引退や退任される人等々、特に此の季節になると色々な人々が私のところに挨拶に来てくださいます。こうした時に思い出すのが「一貴一賎(いっきいっせん)、交情乃(すなわ)ち見(あらわ)る」という『史記』にある言葉です。
之は前漢王朝の時代の翟公(てきこう:前二世紀ごろ)という人の話です。司法長官になったかと思うと左遷され、しばらくするとまた司法長官にカムバックするという波乱に満ちた人生を経験しました。司法長官でいるときには、いろんな人が屋敷にまで押し掛けますが、左遷されるとだれも来なくなります。そしてまたカムバックすると、いろんな人が屋敷にやって来るという状況で、翟公が地位の上下で、みなさんのお付き合いの心がよくわかるものだと屋敷の門に書き付けた文句です。
拙著『ビジネスに活かす「論語」』(致知出版社)の中でも「五交(ごこう)」というもの、即ち、「勢交(せいこう:勢力者に交を求める)」、「賄交(わいこう:財力有るものに交を求める)」、「談交(だんこう:能弁家に交を求める)」、「窮交(きゅうこう:困窮のため苦し紛れに交を求める)」、「量交(りょうこう:利害を図って得なほうに交を求める)」ということを御紹介しましたが、そうした交わりの仕方をする人は此の「一貴一賎」の中でよく分かるということです。

参考
※1:2014年3月18日『読むだけで人間力が磨かれる、大人の漢文』(SBクリエイティブ)




 

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