北尾吉孝日記

『相談する人される人』

2014年4月4日 17:09
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米国建国の父ベンジャミン・フランクリンは、「相談はワインを飲みながら、解決はその後で水を飲みながら」と言っています
一口に相談と言ってみてもそれは千差万別で、ケースバイケースでの対応というのが実際だと思いますが、それを受けた時その答えを出せるということもあれば、出し得ないということも勿論あるでしょう。
私の基本的スタンスとしては、自分がよく知らない事柄に関して答える資格が不十分だと判断する場合、人の相談に応じるということを余りせず、決して軽々な発言をせぬようしています。
それからまた、相談を持ち込む側について言えば、その有する情報全てを明らかにし、相当本気になって相談するということでなければなりません。
何故なら答える方からすると、その状況を正しく認識出来ていればこそ「私ならこうするけど、どうですか?」というふうに話せるところが、それでは中途半端な答えしか導き出せなくなるからです。
相談する側が、「この部分は恥ずかしいから出さないでおこうか」といった積もりで、中途半端な情報の伝え方をしていたら結局のところ正しい答えは出てこないのではないでしょうか。
従って、相談する方は何時も全情報を伝える覚悟を以て相談をする、ということが大切だと思います。
新聞やテレビ等ではよく「人生相談」の類がありますが、その話を聞いていて結構思うのは、「あぁ、よくもまぁこんないい加減なことが言えたもんだなぁ~」ということで、之に関しては一面、そこに相談を持ち込む方の問題もあるのかもしれません。
しかしながらそもそもが、その人と余っ程親しくて余っ程その人のことを知り、余っ程その関連情報がきちっとオープンにされていなければ、人の人生について軽々にその相談に応ずるなどということは普通出来ないものだと思うのです。
また、その人の人生相談を受けるに足る状況ではあるものの、それに応じる側が十分知らない事柄があるという場合は、私であれば「その件を御答えするに今私は十分知ってはいませんが、こういう形で調べられては如何でしょうか」という形で答えます。
あるいは、「この人が詳しそうですから、この人に聞かれるのも一案だと思います」等の答え方をしたりもするでしょうが、何れにしても当該ケースで言うと、多分そういう答え方にならざるを得ないのではないかと思います。




 

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