北尾吉孝日記

この記事をシェアする

儒教や仏教あるいは道教といったものを一緒くたにしたのが、明末の洪応明著『菜根譚』という書であり、故に同書を読んでいますと、「どこかで見た表現だなぁ」と思うことが結構あります。
「人の小過(しょうか:小さなあやまち)を責めず、人の陰私(いんし:そっとしておきたい隠し事)を発(あば)かず、人の旧悪(きゅうお:ふるい悪事)を念(おも)わず。三者以て徳を養うべく、また以て害に遠ざかるべし」という言葉もその一つです(※1)。
徳を養う上で大事か否か別にして、人の小さな誤りをぐちゃぐちゃと言わないとか、過剰に部下を責め立てないといったことは、人材を集める上でも人を育てる上でも大事なことだと思います。
例えば、『論語』の「子路第十三の二」にも「有司(ゆうし)を先にし、小過を赦し、賢才を挙げよ…使用人の先頭に立って仕事を分担させ、小さな過ちは許し、優秀な人材は抜擢する」とあるように、小さな失敗を咎めクビを切ってしまうようでは、リーダー失格と言わざるを得ないでしょう(※2)。
それから残りの二つ、「陰私を発かず」及び「旧悪を念わず」も徳を養うというものではありませんが、前者について言えば「そっとしておきたい隠し事」は誰にでもあるわけで、それを敢えて暴くとすればその人との関係はがたがたになってしまいます。
従って、自ら好んで人間関係を悪くするならば、そうすれば良いと思いますが、結局それはその人の怨みを買うということになり、翻って自分の害となってその怨みが返ってくることにもなるでしょう。
では、徳を養う上で大事なことはと言うと私自身は、自分の人格(人徳)を磨くことに関わる「四常(仁・義・礼・智)」を磨き人間力を高めるため、孔子が実践した「四(し)を絶つ」ということだと思っています(※3)。
即ち、『論語』の中に「意(い)なく、必(ひつ)なく、固(こ)なく、我(が)なし」(子罕第九の四)とあるように、「私意がない、無理を通すことがない、物事に固執することがない、我を通すことがない」というのが大事だと考えます(※3)。
「中庸の徳たるや、其れ至れるかな」(雍也第六の二十九)と言うぐらい、孔子は中庸を最高至上の徳とし、バランスを保って行くこと、バランスの取れた人間になることを大変重要なものとしていました。この中庸の徳を養うべく、彼自身が実践したのが「四を絶つ」ということです。
孔子は自らがそういうことを律する中で、非常にバランスの取れた人間となったので、徳を養う上で大事なのは此の「四を絶つ」ということだと私自身は考えています(※3)。

参考
※1:『致知』2014年5月号「特集 焦点を定めて生きる」
※2:2012年5月11日北尾吉孝日記『人を育てる
※3:2012年5月10日『ビジネスに活かす「論語」』(致知出版社)




 

(任意/公開)
(任意/非公開)



Copyright © SBI Holdings, inc. All rights reserved.