北尾吉孝日記

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各藩が皆財政難を起こしてきた江戸の末期、所謂重農主義から重商主義へと移って行くという中で、米を中心とするような経済体制が長持ちするはずはありませんでした。
そして貨幣経済が浸透の度を深めて行く中で、当然商人が力を持つようになって行くわけですが、歴史上有名な人物の中でこの世界の到来をある意味はっきりと認識していたのは、認識の程度に差はありますが私が知る限り恐らく平清盛、織田信長、豊臣秀長の三人だけかと思います。
家康の代でその基礎が築かれた「徳川三百年」、実質的に二百六十数年存続の鍵というのは、そうした重商主義的側面を理解して取り入れ、幕府財政の健全性を維持して行くということでしたが、家康を始めそれ以後の将軍においても未だ十分に上記世界の到来を認識してもいないし、正しい改革を行った者もいなかったと言って良いでしょう。
しかし、国政ではなく藩政の大改革を実現した人物として、ケネディ大統領も尊敬した米沢藩主の上杉鷹山公、及び備中松山藩を見事立て直した儒者・山田方谷、並びに託された財政再建等を全て成功裏に成し遂げた二宮尊徳翁、の三人が特筆に値すると思います。
ひと月ほど前「新発見の後藤象二郎宛龍馬直筆書簡」ということが報じられ、「三八を置かバ他ニ人なかるべし」と新政府の財政担当者に三岡八郎(後の名は由利公正)を推す龍馬の記述に関して、彼が有していたとされる経済的側面を評する声が多く見られました。
ただ私に言わせれば、龍馬が誰を推薦したから如何かといった類の話でなく、やはり上記した人達のように経済改革を完遂したという史実の上でその評価は語られるべきだと思います。
例えば、山田方谷という人は安岡正篤先生なども幕末陽明学の大家の中では春日潜庵先生と並んで最も尊敬出来る人物だと述べておりますが、彼は「幕末期に、今の金額に換算すると百億円にものぼる借財を抱えた備中松山藩の財政改革を遂行し(中略)八年後には、逆に百億円の蓄財を持つ裕福な藩に変貌」させた偉人であります。
方谷32歳の時に書した論文『理財論』というのは、「利の元は義なり」や「利を見ては義を思う」あるいは「義を明らかにして利を計らず」、といった儒教的な考え方を中心に据えて書かれたものです。
その中で一番大事なポイントを挙げるとすれば、それは正に「それ善く天下の事を制する者は、事の外に立ちて事の内に屈せず。而るにいまの理財者は悉く財の内に屈す・・・・・だいたい、天下のことを上手に処理する人というのは、事の外に立っていて、事の内に屈しないものです。ところが、今日の理財の担当者は、ことごとく財の内に屈してしまっています」ということです。要は、財の内に屈した役人は「やれ税金を上げねばならない」「やれ歳出削減が必要だ」といった形で細々と理財に関する部分だけを訴え、ちっぽけな財政だけに振り回されるのです。
2年前のブログ『山田方谷に学ぶ財政改革の在り方』でも詳述したように、真に天下を動かす者は「事の外」にいて一切のものから束縛を受けることなく、「財の内に屈す」ることのない自由を持って超越している存在であり、これ即ち真に経済を良くする者は決して金の奴隷になり、金に捉われ、経済に負けているのではないのです。
今、1018兆円もの借金を抱える日本という国を再建するのは、「一事に係らわって全般を見落とす」ことなく「全般を見通す識見を持って大局的立場」から大改革を断行した、山田方谷のような人しかいないのです。




 

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