北尾吉孝日記

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発言小町に「誤解されやすい人ってどんな人?」(12年3月31日)というトピックスがあり、それに対して「笑顔が少ない人」や「緊張し過ぎてあがってしまう方」、あるいは「簡潔に結論を言えない人」といったレスがあります。
私が考える誤解されやすい人とは、「自分の主義・主張・立場を明確にし、人前でも何でもはっきりと発言する人」でありますが、此の定義に対しては「寧ろそれだけはっきりしていれば、誤解されることもないのでは?」と矛盾を感じる人もいるかもしれません。
此の世の中、事なかれ主義・日和見主義で黙って生きている人、あるいは世間から殆ど批判されることなく所謂「毀誉褒貶」がない誰もが余り気にせずに通り過ぎる人の方が、可笑しな人が多いように私には感じられます。
此の現実社会では自分の主義・主張・立場を明確にし、様々な事態に直面した時に自らの見識をきちっと述べるような人の方が、ぐちゃぐちゃと言われるケースが多いように思われ、私自身も物事をはっきり言う方ですから(笑)、どちらかと言うと誤解されやすい人に該当するのでは?と思っています。
例えば、テレビというのは基本的に編集側の意図がストレートに出るもので、こちらがAだと言っているにも拘らず、Aであるという主張の極一面だけを切り取って結論をBに勝手に変え、そしてその全体を丸で違うものにしてしまうという位のことを、平気でやっているケースが多く見られます。
その意味で私自身の場合で言うと、拙著『ビジネスに活かす「論語」』(致知出版社)ではホリエモンのニッポン放送買収騒動時の偏向報道問題を、また当ブログでは嘗て私が出演したNHK番組「ドキュメンタリー同期生 兜町 夢のあとさき」のナンセンス極まりない編集問題を指摘したことがありますが、嘗てある種のやり方でトリッキーに取り上げられ私の虚像が作り上げられようとされました。
そして、一たびそうした虚像が作られると壊すのは中々容易でなく、私自身そのマスコミの姿勢に大変危険なものを身に染みて感じたわけですが、後に「御本を読んで北尾さんの印象がまるっきり変わりました」とか、各種媒体記事を見て「北尾さんは風評で言われているような人じゃない」等々と言ってくれる人が徐々に出て来、段々と理解されるようになってきたのでは?と今は感じています。
『論語』の「衛霊公第十五の二十八」に「衆これを悪(にく)むも必ず察し、衆これを好(この)むも必ず察す」という言葉、つまり「多くの人が憎んで嫌がっているような人でも必ず自分自身で確かめるべきであるし、反対に、誰もが好いているような人でも必ず自分の目で確かめなくてはいけない」という意味の言葉があり、之は全くその通りだと思います。
我々は上記した類により一つの虚像が形成されている人間に関しては特に、世評で人物判断をするのではなく先入観を持たずにその人と対峙し、そして本当にそういう人か否かを自分の目で注意深く見、自分なりに判断して行くという態度が常に必要だと思います。
此の先入観ということでは、孔子は「詐(いつわ)りを逆(むか)えず、信ぜられざるを億(おもんばか)らず」(憲問第十四の三十三)とも述べていて、「人に接する場合、はじめからその人が騙そうとしているのではないかと疑いの目で見て妙な臆測をしたり、あるいは、人相や風体だけ見て訳もなくその人が不誠実だとか信用できるとか思ってはいけない」と教えています。
即ち、最初のそうした思い込みを全て捨て去り、何時何時も決して人を色眼鏡で見ることなく、無の状況で相手に会い、誠実に相手に自分の気持ちを伝える中で、その人物を最大限理解して、間違った印象を持たぬよう努めるのが、非常に大事だということです。




 

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