北尾吉孝日記

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人間の脳細胞というのを朝昼晩で見れば、朝呆けている人もいるにはいますが、基本的には朝非常に活発になってき、そこから段々と助走してくるものです。
朝から昼に向かう位が最も頭が冴えてくる時で、昼飯を食べ午後の2時や3時になると眠たくなってきたりするケースもあります。
脳というものの働き具合から考えても、やはり人間は適当に睡眠をとる等で休んだ方が絶対に良いのだということです。
かと言って、例えば8時間睡眠にすれば良いかと言うと必ずしもそうではなく、だらだら寝ている「REM睡眠」というよりも、寧ろ5時間でも熟睡する方がベターであろうと思います。
即ち、短時間で熟睡し起きている時間でぐんと効率良く仕事をするということが大事であって、言うまでもなく仕事が上達するためには時間の使い方というのも大切な要素の一つです。
一日24時間、誰にでも皆平等に与えられているわけですが、此の24時間を如何に有意義に過ごすかで確実に差が付いて行くものです。
そして、その限られた時間の中で精一杯努力をし、その一日を有意義に過ごそうと思うならば、どうしても睡眠時間を減らすしかなく、我々の肉体再生において必須である寝る時間を熟睡により如何に効率良くセーブして行くかが重要になるのです。
「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず。未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢、階前(かいぜん)の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声(しゅうせい)」という朱熹(朱子)の有名な漢詩がありますが、此の「一寸の光陰軽んずべからず」が若いうちは中々分からないものです。
しかしながら、取り分け若い頃にこそ睡眠時間を惜しんでも学問をする、仕事をする、自分の精神を鍛えて行くことが大事なのであって、そうした時期を中途半端に過ごしてしまうと何も成し遂げ得ない人生になってしまい、必ずどこかで後悔することになってしまいます。
森信三先生が唱えた『人生二度なし』という偉大な真理、此の二度とない人生を悔いなく終わらねばという気持ちを常に自分に言い聞かせること、そしてまた、「惜陰(せきいん:時間を惜しむということ)」ということ、此の一日24時間という誰にも平等に与えられている時間を如何に無駄なく如何に効率的に使い得るか、が大事なのだと思います。
私の場合はと言うと、睡眠の密度を上げながら一日4時間睡眠を長い間実行してきましたが、よく「4時間睡眠でよく体が持ちますねぇ」と色々な人に驚かれますが、それが習慣になっていて熟睡できているようです。
但し、睡眠時間を減らして行くという場合、病気になったら元も子もありませんから、上記した通り熟睡することが大切で、中途半端な寝方はせず効率よく寝るということでなければなりません。
他方で、1週間という単位では少なくとも週に一回ぐらい、日々沸き起こる様々な雑念から逃れ静かな中で何も考えずに瞑想しているような時間を持つとか、あるいは都会の喧噪の中でずっと過ごしていたのを少し違った雰囲気の静かな所で過ごしてみる、といったことに大変な意義がありましょう。
それ故そういう意味では、ずっと同じ所で同じ様に過ごすのでなく、週末は違った環境の中でゆっくり過ごしてみるといったふうに、時として環境を変え変わった環境の中で気分や発想の転換がし易く出来るようにし、そしてそれが新しい発想が生まれたりすることに繋がれば良いのではないでしょうか。
安岡正篤先生も座右の銘にされていた「六中観(りくちゅうかん:忙中閑有り。苦中楽有り。死中活有り。壺中天有り。意中人有り。腹中書有り)」という言葉があり、その一つ「壺中天有り」に関しては4年半程前のブログ『心の病にどう対処すべきか』でも次の故事を御紹介しました。

【昔費長房という役人がいました。この人が役所の二階から下の市を見ていたところ、遅くなって皆が店を畳んでいるにも拘らず、一人の老人はいつまで経っても畳まずに残っていました。「なぜだろう」と思って見ていると、その老人は壺を取り出してその中に入って行きました。その老人は仙人であったということです。翌日も同じような光景があり、この役人は「自分もその壺の中に連れて行ってもらおう」と考えてその老人と談判し、一緒に連れて行ってもらえることになりました。そして、その壺の中は素晴しい別天地でありました。】

要は少し違った世界を自分で持つこと、新たな世界を自分で見出して行くことがある程度できれば非常に良いということで、趣味を持つことでもスポーツをすることでも何かそうしたちょっとした類で、気持ちを切り替えて行くよう意識するのが重要なのだと思います。
「忙」という字は、「心」を表す「忄」偏に「亡」と書きますが、日頃から「忙しい、忙しい」という人達は、ある意味心を亡(な)くす方に向かいがちです。
そしていよいよそれが高じて、睡眠不足になり鬱病になるというようなこともあるわけで、東洋哲学の中ではそういう意味で、「静」や「閑」ということを非常に大事にしています。
例えば、『三国志』の英雄・諸葛孔明は五丈原で陣没する時、息子の瞻(せん)に宛てた手紙の中に「澹泊明志、寧静致遠(たんぱくめいし、ねいせいちえん)」という遺言としての有名な対句をしたためました。
「私利私欲に溺れることなく淡泊でなければ志を明らかにできない。心安らかに落ち着いてゆったりした静かな気持ちでいなければ遠大な境地に到達できない」という意味ですが、事程左様に時として自分をじっくり振り返り、あるいは何も考えないでただ心を休める時間を持つことが大切なのです。




 

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